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■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
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タイトルが意味するものって分かりますか?
普通の方には全く耳慣れない用語だと思います。
この度この制度の見直しを決定したそうです。
旧用語
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|
新用語
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品目横断的
経営安定対策
|
→
|
北海道=水田・畑作経営所得安定対策
|
都府県=水田経営所得安定対策
|
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ゲタ
|
→
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北海道=麦・大豆等直接支払い
|
都府県=麦・大豆直接支払い
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||
緑ゲタ
|
→
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固定払い
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黄ゲタ
|
→
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成績払い
|
ナラシ
|
→
|
収入減少補填
|
経営の一元化
|
ð
|
共同販売経理
|
用語の新旧対比表を掲載致しました。
何のことですか?って感じですよね。
「品目横断的経営安定対策」とは、農林水産省の施策です。
従来個々の品目ごとに講じてきた施策を見直し、19年産からは、意欲と能力のある担い手に対象を限定し、その経営の安定を図る施策に転換したそうです。
以前もコメント致しましたとおり、精農家が期待しているのは補助金のバラまきではありません。
それをこのようにいつまでも無尽蔵に税金をバラまくことしか考えられないとは。。。
省益や権利を保持することが目的ではないのかと疑念を抱かれても仕方がないような施策に思えるのはヤマトだけでしょうか?
いえいえ。
零細農家は困窮しています。
それはごもっともだと思います。
しかも、時々刻々と限界集落は増加し、集落崩壊へと着実に歯車が回転している地域こそ、零細農家のシェアが高いことも承知しています。
だから、補助金ですか?
しかし、それは根本解決の方策ではないと思います。
人口減少は着実に進展しています。
しかも、その速度は過疎地域ほど速いという傾向が顕著です。
100年後の国土を想像し、あるべき姿を明確に示す。
次に、現状の分析を克明に行い、差異分析により目指すべき道のりを決定する。
そして、それを実現するための方策を考える。
その監視は定期的に行い、評価測定により、道のりの変更管理を適宜行う。
そのように考えた時、看板は掛け替えて意味を理解しやすくはなったかもしれませんが、施策の内容がその道のりに合致した効果的な方策と言えるでしょうか?
どうも違うような気がしてならないのです。
パースペクティブの低さとピリオドの短さばかりが目立つ方策と言えそうに思います。
日本の農業の将来が暗いと言うのは、政策が暗くしていると言っても過言ではないような気がします。
しかし、来年農業部門で技術士を受験される方は、間違ってもこのような論旨展開は避けるべきです。
お分かりですね?
ところで、「限界集落」には定義があって、住民の高齢化率(65歳以上の割合)が50%を越え、共同体を維持する地域の協力関係が衰えた地域を指すのだそうです。
昨年のデータですが、7,800を越える限界集落が存在するそうで、その1/3が今後10年前後の間に廃村になる可能性が高いとしています。
これ以上暗い話は避けたいと思います。
こういった限界集落において、様々な取組がなされています。
それは政策とは無関係に行われ、実効の上がっている地域があります。
高知県大川村での取組をご紹介させて頂きたいと思います。
高知県大川村は、離島以外で最も人口の少ない自治体です。
村には16の集落があり、その多くが限界集落と化しています。
人口501人の高齢化率は48.5%。
しかし、'72に閉山となった白滝鉱山から譲渡された鉱山跡400haを生かしたトマトの水耕栽培や高原野菜のハウス栽培に取り組んでいるそうです。
また、黒牛の繁殖・飼育にも力を入れ、「大川黒牛」として年に1度「謝肉祭」のイベントを開催しています。
さらには、旧白滝小中学校を改装し、「山村留学」の宿泊施設として利用しているようです。
また、将来は「はちきん地鶏」の飼育を目指したいと地元では頑張っていらっしゃるそうです。
「謝肉祭」を担っていらっしゃる青年団長の方は、オランダ留学をしてUターンなさった方だそうで、「大川の地域・気候特性を生かした花卉栽培の産地を形成したい」と懸命の挑戦が続いています。
こうした取組を見ていると、官とはいかにあるべきかと考えざるを得ません。
単にお金をばらまくだけの機能ならば不要と断ぜざるを得ません。
ある方がおっしゃっておられます。
限界集落と呼ばれようと、限界を決めるのはそこに暮らす人々だ。
その声に耳を傾けよ!
その人々が限界と思わなければ、限界ではないのだ。
その暮らしに寄り添うべきだ。
そのとおりだと思います。
溜飲の下がる思いをした一言でした。
現場の実態を知らずして、対策などあろうはずがありません!
やはりそこに住む方々の意見と意欲こそが、限界集落の問題解決における最大の解決策なのではと思います。
皆さまが一度お考えになるきっかけになればと思い、アップさせて頂きました。
ではまた。
昨日まで妹とその子供達がやって来ていました。
その中に、昨日が誕生日の子がいるのです。
Christmas Eveが誕生日とは。。。
忘れられることは決してありませんが、しかしケーキもプレゼントもダブルではもらえるはずもなく、可哀想だなぁ。。。
と思っていたら、毎年それを考慮して一日前倒しの誕生日会を催すのだそうです。
どうりで一昨日は朝から上機嫌だった訳です。
さて、皆さまのご家庭ではどのようなクリスマス・イブをお過ごしだったのでしょうか?
にわかサンタになったり、夕食に贅を凝らしたり、はたまたどこかへお出かけをなさったり。。。
それはさておき、今年を振り返る時期になってきました。
はっきり申しまして、『零点の一年』でした。
形の上では何も得ることができず、長く苦しかった技術士取得前の状態に戻ったような一年でした。
すぐ天狗になってしまう傾向が強いヤマトには丁度良かったのだと思っています。
昨年がある意味出来過ぎでしたから。
来年こそは『総監』+『建設・土基礎』のダブル・スコープの覚悟です。
恥ずかしくない成果を残すために、今から馬力をかけていかなければなりません!
年末年始などと浮かれてなどいられません!
継続する気持ちと実行あるのみです。
そして、その成果を社会に還元しなければ資格なんて時間の無駄以外の何ものでもありません。
『勉強』とは自らのために行うものに非ずして、世のため人のために尽くすための道具と心得たり。
そして、その過程でBreak Throughを目指せ!
そういった意味を込めてつけたこのブログのサブタイトル。
その名に恥じぬ成果を目指すことで、ご訪問して下さる方々にも新たなインセンティブを差し上げることができるのだと信じています。
『有言実行』で来年こそは必ずや花を開かせます!
2007も残すところ1週間足らずとなってきました。
何かとお忙しいでしょうが、くれぐれも健康と安全にはお気をつけ下さい!
ではまた。
ヤマトです。
今日は全国的にChristmas Eve。
賑やかで華やかな一日となることでしょう。
とは言え、ヤマトには年の瀬の普通の一日でしかありませんが。。。
今日は、しばらく怠っていた電球の取替をしなければなりません。
昨夜、1カ所の電球がついに切れてしまったからです。
考えてみれば長らく取替をしていませんでしたから、当然といえば当然です。
そこで、折角だから一斉点検を行って、取り替えるべき箇所をすべて取り替えてしまおうと考えています。
また、当然のこと、照明器具全体の掃除もしなければなりません。
一日これだけで忙殺されそうな気配が濃厚です。
考えてみれば、昨年の12月25日が手術日でしたから、今日で1年です。
10月には再び手術を受け、未だ完治にはほど遠い状態です。
いつになったら完全回復できることやら。。。
家族からは病院が下手なのだと、転院を薦められていますが、さりとて県下でその道では最も有名な病院で治療を受けているため、今以上の病院は考えにくいというが正直なところです。
しかし、3回目の手術が必要となった時には考えざるを得ないとは思いますが。。。
さて、ア・ラ・カルトのようにころころと変わる今日のブログ。
次は、サッカーねたです。
昨日で、天皇杯のベスト4が出揃いました。
G大阪、広島、川崎F,鹿島
やっとここにきてJ1のチームだけになりました。
毎年のことですが、J2以下のチームが頑張って天皇杯を盛り上げてくれることは嬉しいのですが、J1チームには一層の奮起が求められます。
準決勝は12月29日に、G大阪vs広島と川崎Fvs鹿島で行われます。
ズバリ広島と川崎Fの勝利と予言致しておきます。
今年、J開幕前にF東京の躍進を予想したヤマトでしたが、撃沈致しました。
あれだけのメンバーを擁しながら、低位に沈んだ原因はチーム戦術にあるとしか言いようがありません。
更迭された原監督の目指すサッカーと選手の個性がミスマッチとなったことが大きいと言わざるを得ません。
昨日の対広島戦を見ていても、ちぐはぐな攻撃が目立ちました。
ビルドアップから考えるのではなく、ゴールシーンから考えてはどうかとヤマトはこうしたチームを見るたびに思います。
つまりボトムアップが機能しないならば、トップダウンで考え直すべきだという視点です。
総監で言えば、代替案を可能な限り準備しておき、その時のステータスにしたがって選択すべき戦略・戦術を変更すべきだという考え方になるでしょう。
ボールも人も動くサッカー。
日本人の俊敏性を基本とした日本オリジナルなサッカー。
これらに代表されるオシム氏が日本代表監督を不幸にも退く形となった今年。
しかし、オシム氏がまいた種は確実に芽吹き、成長を遂げていると思います。
幸いオシム氏は、ICUから一般病棟へ移られたそうです。
安堵感を覚えると共に、大きな贈り物をもらった子供のような気持ちで、ビッグ・サンタに感謝したいと思いました。
その大きな贈り物とは、今後日本サッカーのあるべき姿と、その道程を示して下さったことです。
今後は、後任の岡田氏がその道程をどのようなアプローチで導いていくのか。
期待して見守るしかありません。
さぁ、ブログにばかり時間を費やしている場合ではありません。
活動開始です。
皆さまも同様忙しい一日となることでしょう。
事故などに巻き込まれないようくれぐれもお気をつけてお出かけ下さい。
そして、夜には一家でメリー・クリスマス!が迎えられますように。
ではまた。
ヤマトです。
既にクリスマスをウキウキ、ワクワクして待つ年では無くなってしまいましたが、この時期になると口ずさみたくなる曲が誰しも一つはあるものです。
ヤマトはWham!のLast Christmas。
その歌詞と対訳をみつけましたので掲載させて頂きます。
洋楽分野は惜しげもなくこれだけのコンテンツをオープンにしているのに、邦楽分野は著作権の関係なのでしょうね、あくまでもクローズです。残念なことです。
Last christmas
I gave you my heart
But the very next day you gave it away
This year
To save me from tears
I'll give it to someone special
Once bitten and twice shy
I keep my distance
But you still catch my eye
Tell me baby
Do you recognize me?
Well
It's been a year
It does'nt surprise me
I wrapped it up and sent it
With a note saying I love you
I meant it
Now I know what a fool I’ve been
But if you kissed me now
I know you’d fool me again
A crowded room
Friends with tired eyes
I'm hiding from you
And your soul of ice
My God I thought you were
Someone to rely on
Me?
I guess I was a shoulder to cry on
A face on a lover with a fire in his heart
A man under cover but you tore me apart
Now I've found a real love you'll never fool me again
A face on a lover with a fire in his heart
A man under cover but you tore him apart
Maybe next year I'll give it to someone
I'll give it to someone special
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨ててしまい
今年は
涙を流さずに済むように
僕は特別な誰かに伝えるつもりだよ
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨ててしまい (君はその想いを捨ててしまい)
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰かに (特別な人に)
一度懲りて用心してるから
僕は距離を保っている
でも君はまだ僕の瞳をとらえる
ねえ、ベイビー
僕を覚えてる?
そう
1年経った
もう驚かない
(ハッピー・クリスマス)
僕はそれをラッピングして送ったよ
メモを添えて「アイ・ラブ・ユー」僕はそのつもりだったよ
もう分かってる 何て僕はバカだったんだろう
でも、もし君が今キスしてくれたら
そうなんだ、君は僕をまたバカに出来るんだ
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨ててしまい (君はその想いを捨ててしまい)
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰かに (特別な人に)
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨ててしまい
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰かに (特別な人に)
大勢いる部屋
友達は疲れた目
僕は君から隠れている
そして君の冷たい心から
ああ、僕は思ってたよ 君は頼れる人だと
僕?
多分、僕は泣きたい時に貸す肩だったんだよ
君の恋人の表情には 心の火照りがあるよ
その男の事よく見えないけど 君は僕の心を引き裂いたよ
Woo もう僕は真実の愛を見つけた 君はもう決して僕をバカに出来ない
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨ててしまい (君はその想いを捨ててしまい)
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰かに (特別な)
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨ててしまい (君はその想いを捨ててしまい)
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰かに (特別な)
君の恋人の表情には 心の火照りがあるよ
その男の事よくみえないけど 君は僕の心を引き裂いたよ
たぶん来年は 想いを伝えるつもりだよ 特別な誰かに
特別な人に
さよなら
上記の対訳に違和感を覚えたので、他のサイトでも探してみましたが、概ね流れとしては同様でした。
ヤマトが感じた違和感とは、このLast Christmasという楽曲は失恋の歌なのか?という点です。
その根拠は次の点にあります。
①曲が哀愁を帯びているものの暗い曲調でなく、むしろ意欲を感じるミディアムテンポである点
②この曲のテーマはChristmasですが、”Last”に大きな意味があり、これを『最後の』と解すると間違いだと思う点
③前項の”Last”は『去年の』もしくは『最近の』と解するべきだと考える点
上記のように判断した理由は以下のとおりです。
refrainされるまとまったlyricsがあります。
それは
Last christmas
I gave you my heart
But the very next day you gave it away
This year
To save me from tears
I'll give it to someone special
ここで
someone special とは一体誰を指しているのか?
上記対訳ではこの理解を間違っているとヤマトは考えます。
対訳では失恋した相手ではない、他の女性をイメージしている点に大きな間違いがあると思うのです。
ヤマトは、someone specialとは失恋した相手その人だと考えています。
そのように考えないと、この楽曲は単なる女々しく情けない男の遠吠えにしかならないからです。
このような意図を持って訳したヤマトのオリジナル対訳は以下のとおりです。
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨て去ってしまった
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰か、そう君に
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨て去ってしまった
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰か、そう君に
一度目は失敗して、二度目は恥ずかしいから
君との距離を保っている
でも君はまだ僕の瞳をとらえて離さない
ねえ、教えて
僕を覚えてる?
そう
あっという間に1年経ったけど
驚くことではないね
君に伝えた気持ちは君へのクリスマス・プレゼントのつもりだった
「アイ・ラブ・ユー」のメモを添えた
分かってる 何て僕はバカだったんだろう
でも、もし君が今キスしてくれたら
そうなんだ、君は僕をまたバカに出来るんだ
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨て去ってしまった
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰か、そう君に
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨て去ってしまった
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰か、そう君に
クリスマスパーティーの部屋
友達は酔っぱらっている
僕は君から隠れている
そして君の開くことのできない心から
ああ、僕は思ってたよ 君はかけがえのない人だと
僕?
多分、僕は泣きたい時に貸す肩だったんだよ
君の恋人(僕)の表情には 熱い君への想いがあるよ
その男(僕)の事よく見えないけど 君は僕の心を引き裂いたよ。でも
Woo もう僕は真実の愛を見つけた 君はもう決して僕の気持ちを捨てることは出来ない
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨て去ってしまった
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰か、そう君に
去年のクリスマス
僕は君に想いを伝えた
でも、すぐ次の日に 君はその想いを捨て去ってしまった
今年は
涙を流さずに済むように
僕は伝えるつもりだよ 特別な誰か、そう君に
君の恋人(僕)の表情には 熱い君への想いがあるよ
その男(僕)の事よく見えないけど 君は僕の心を引き裂いたよ。でも
必ず次こそは君に思いを届けるよ(捨てられないように)
必ずね!
ぐらいでどうなのかなぁ???
長~いブログにおつきあい下さってありがとうございました。m(__)m
異論・反論お待ちしています!
では良いChristmasを!
ヤマトです。
タイトルに驚かれた方もいらっしゃるでしょう。
いえいえ。
決してヤマトのことではございません!
その方は米医学界でそう呼ばれているそうです。
その方の名は、福島孝徳氏65歳。
脳神経外科医の彼の手がける手術は、年間実に約600件。
彼は、48歳の時、アメリカに渡ったそうです。
その理由というのは、日本で教授になれなかったからだそうです。
それは彼が異端児だったことが最大の原因のようです。
東大医学部を卒業後、研修医を経てドイツ、アメリカに5年間留学し、復帰した東大病院で変革の必要を説いたそうです。
「日本の脳外科は未だに戦前のままだ」と。
自ずと周囲とは混じり合わない環境が生まれたようです。
日本の医学界ほど閉鎖的な組織もありません。
学閥だの○○教授グループだのと。。。
福島氏には主張する手術方法がありました。
それは、開頭することなく脳腫瘍を摘出する「鍵穴手術」と言われる方法でした。
これは、読んで字のとおりに数cmの穴から脳腫瘍を摘出する方法でした。
このため、手術に対する技術は想像を絶するような水準が要求されましたが、逆に患者に対する負担や術後の回復には、開頭手術に比べて著しい優位性を有していました。
福島氏は、この手術方法の開発・改善などのためピーク時には年間900件もの手術を行ったそうです。
しかし、それでも国内医師の大半は、この方法に興味を示さなかったと言います。
正確には興味は抱いても、公然とそれを勉強する環境には無かったと言うべきでしょう。
大方の権威が、「福島は特別変異だ。もっと平均的な脳外科を勉強した方が良い。」と門下生達を諭したと言います。
その一方で、福島氏は大勢の方に最大限の門戸を開いていらっしゃいます。
ホテル代を持つから見学に来て欲しいと訴えかけていらっしゃいます。
今、福島氏の弟子と呼ぶに相応しい方が国内に20名いらっしゃるそうです。
その一人が福島氏の手術を称しておっしゃっておられます。
「美しいんです。手際の良さも、リズムも、血が全く見えないことも。今までの手術は何だったのかと思うほど衝撃でした」
福島氏の手術方法は、確立されたものではありません。
65歳を迎えた今もなお日々進化をを遂げているそうです。
「医師がもっと柔軟に勉強できる環境を日本もつくらなければならない」
重たい言葉です。
こうした方がいらっしゃるからこそ、まだまだ日本は捨てたものではないと思います。
負ける訳には参りません。
分野は違えども、日々Break Throughを志して進むのみです。
良いお話を聞かせて頂きました。
また機会がございましたらご紹介致します。
ではまた。
昨日の朝のことです。
自家用車で出勤中、横断歩道で一人の小学生が渡りそうな気配で車がとぎれるのを待っていました。
対向車線では車が、横断歩行者を優先するべく停止していました。
そこで、横断歩行者の優先マークまで考案したヤマトが停止しない訳には参りません。
そのため停止しましたところ、後ろから来た車に追突をされた次第です。
「どうして?」
という気持ちが真っ先に頭をよぎりました。
が、幸い優先すべき小学生は無事に渡り終えたようでしたので良かったのですが、万一追突の影響で我が車が横断歩行者をはねていたらと思うとゾッとします。
また、ヤマトの体も今のところ大丈夫のようなので、被害影響は車両の破損だけと言えそうです。
交通事故はこれまでに何度か遭っていますが、前回はバイクが車線をはみ出して来ての正面衝突でした。
しかも、任意保険にも加入していなく、且つ自らも車両保険に加入しておらず、保険会社の対応が非常にマズかったたため、自腹で修理する結果となりました。
このため、即 保険会社を変更。
今回は、相手も任意保険に加入していたため、まず保険で処理ができるのだろうと思いますが、10-0という持ち分比率はあり得ないと聞いたことがあるため、またしてもやられ損か?と思っています。
交通マナーの悪い岡山県。
どうしてウィンカーを出さないの?
どうして歩行者を優先できないの?
歩行者を優先したら後ろからクラクションを鳴らすなんて信じられません!
年末のこの時期、誰でも忙しいことは理解できますが、しかし事故を招いては結局すべてのスケジュールが遅延する結果になります。
しかも、自らのスケジュールのみならず、相手のスケジュールにも多大な負の影響を及ぼすことを考えれば、どうしても避けるべきリスクだと思います。
今回は自らが被害者ですが、いつ加害者になっても不思議ではありません。
他山の石として記憶の片隅に留めて頂きたい事例でした。
ではまた。
タイトルを読んで驚きました。
世界の屋根と言われるヒマラヤ山脈の斜面にへばりつくように位置する小国・ブータンでのお話です。
国土の73%が豊かな森林に覆われた同国は、海面上昇に怯える必要もなく地球温暖化の問題とは無関係と考えられますが、実は国家そのものが破綻しかねない危機に瀕しているそうです。
これは「ヒマラヤの氷河がこれまでにないスピードで融け始めている」ことが最大の要因となっています。
この結果、氷河湖内の氷河が融けて、融解水が過去5年間で8.5倍に膨らんでいる氷河湖もあるそうです。
そして、氷河湖の決壊が危惧されているばかりか、1994年には実際氷河湖の決壊が発生し、土石流となって下流域へ流れ下ったそうです。
この時には、歴史的建造物の破壊だけに止まらず、21人の死亡者まで出したと記録されています。
決壊した氷河湖の水は、河川沿いに一気に流下していきますが、ブータンの国土の南北高低差は実に700mもあります。
日本で言えば、黒部ダムの谷底に住んでいる集落(実際にはそのような集落は存在しませんが。。。)が、ダム決壊に伴って流下水を受けるが如くではないでしょうか?
この様子を指して、現地では「空から落ちてくるツナミ」と称しているそうです。
ブータンには氷河湖が、実に2,700足らずもあるそうです。
その内、決壊の危険性が指摘されている氷河湖は24だそうです。
ブータンの下流域にはインドやバングラディシュの低平地が拡がっています。
空から落ちるツナミは、こうした地域へも大きな被害影響を及ぼすことは間違いありません。
地球温暖化の影響は調べればキリが無いほどの影響を及ぼしているのでしょう。
我々は、何不自由のない社会で、地球規模の現状を認識することなく平和に生活を続けています。
しかし、いやしくも技術士である者が、目先の利益や地位にだけ執着などしている場合ではありません。
技術士のCPDの中に、世界規模のボランティアを義務づける必要があるのではないかと思います。
そして、それを実践できない者は、資格剥奪。
かなり大胆で、強烈なインセンティブですが、無茶とは決して思いません。
ご批判は甘んじて受ける覚悟ですが、自らのために取得する資格には何の興味もないというのがヤマトのスタンスです。
地球規模に動いてこその技術士です。
日本の「Gijutusi」を世界に知らしめるチャンスです。
大いに頑張って参りましょう!!!
CO2削減システム始動の最終期限は、2015年。
もう時間は残されていません。
せめて今の地球環境を我々の子供達に残すのは、我々の責務です。
かなりテンションの高いヤマトでした。
ではまた。
先日以下のような記事を新聞で見かけました。
『政治のお節介は農業に不要』
既に日課となってしまった感のある『プロフェショナル仕事の流儀』視聴。
今週は、絵本作家荒井良二氏。
この方の言葉の中にも登場した「制約」。
制約と向き合い、上手くつき合う。
これがどの達人達にも共通する思想のようです。
荒井氏は、絵本を書く道具の中に、1cmにも満たないような色鉛筆を大事に持っていらっしゃいました。
通常ならば捨ててしまうような長さの色鉛筆です。
しかし、荒井氏はおっしゃいます。
「描きにくいですよ。描きにくいからこそ描けるモノがあるのです。手がその不自由さのために一所懸命頑張るのです。その結果、思いもしなかったような絵が描けるのです。」
ここまでくると、頭脳で考えて絵を描いているとは到底言えません。
しかし、そうして描いたモノを総合しまとめ上げ、絵本にしていく才能なんでしょうね。
制約を楽しむ。
これが達人達に共通した感覚のようです。
これにはヤマトも共感です。
これまで困難と言われる現場であればあるほど嬉しかったですから。
そこに影響を及ぼしているのは、きっと個人の成果が表に出ない分野だからこそ現場に最大限のパワーを注ぎたいという強い思いだったのだと感じます。
しかし、最初の頃は、現場と対峙し敵対関係にあったことも否定できません。
何とか抑え込んでやろうと息巻いていた時代を忘れる訳にはいきません。
やがて、現場と正面から向き合い、従来の考え方に対して負の影響を及ぼす要因を、目的達成のための原動力とする方向へ思想が転換していきました。
要するに、既成概念に拘ることなく、相手の力を上手く利用する方法へのパラダイムシフトです。
そして、さらにステークホルダーへの配慮へと変遷いきました。
その後、それらを総括するように、自然との共生という思想へ進化した感覚です。
今考えること。
それはやはりperiod。
期間です。
ライフサイクル・マネジメントであるとか、アセット・マネジメントなど、時代の動きや流れの中で社会資本ストックを如何に長く使用して頂けるかという概念無しにモノ作りはできないと強く感じています。
最低100年。
できれば1,000年。
愛着を持って使って頂きたい。
そういうモノ作りの思想で対応をしたい。
そうした活動の延長線上に資格などというものは存在するとヤマトは思っています。
ある方は、資格とは取る戦略でたいおうを図るもの。
実現場とは切り離すべきものとおっしゃいます。
個人の思想・信条は自由ですが、ヤマトはそのスタンスを取りたくありません。
あくまでも普段の業務において成果を発揮していくことを最優先に考えたいと思います。
バカで要領が悪いことは百も承知しています。
しかし、そうでなければヤマトがヤマト自身を評価できないのですから仕方がありません。
職人気質を自認するヤマトは、これからも資格を持っていない意識で現場と向き合って参ります。
その延長線で毎年資格取得を求め続けていきたいと考えています。
どこまでこのモチベーションが維持できるのか。
逆にそれが無くなった時、現場技術者を廃業する時だと考えています。
しかし、まだまだ頑張って参ります。
皆さまからの視点でヤマトが横着をしていると思われた場合は、是非ともお叱りを頂戴したいと思います。
荒井氏から新たなインセンティブを頂きましたので、また新たな気持ちでモチベーションを上げていきます!
ではまた。
「プロフェショナル仕事の流儀」は毎回示唆に富むお話を聞かせて下さいます。
12/4のゲストは、文化財修理技術者・鈴木裕氏。
鈴木氏のコメントに以下の内容がありました。
(以下はNHKオンラインからの引用)
「紙の声を聞く」
鈴木氏が専門とする文化財は、書や古文書といった、紙に書かれたもの。
実際に修復作業に入る前、鈴木氏はまず、文字や絵が描かれた紙にじっくりと向き合い、すみずみまで観察する。
紙を素材とする文化財は、書かれている内容だけが重要なのではない。紙自体にも、それが書かれた当時の慣習や文化がふんだんに含まれている。事前の観察が甘いと、紙に刻まれた情報に気づかず、修復の過程でそれをなくしてしまう恐れがあると鈴木は言う。
そのため鈴木氏は、作業に入る前に可能な限り子細に紙を観察し、紙が持つさまざまな情報を見極めることを心がける。肉眼だけでなく、顕微鏡やX線検査器などの科学的手法も積極的に導入し、文化財の性質を徹底的に調べ尽くす。
紙が発する声なき声に耳を傾け、その声をそのまま次の世代に伝えることが自分の使命だと、鈴木氏は信じている。
「習熟するな」
修行時代、「仕事は体で覚えろ」と言われ、体に技術を染みこませてきた鈴木氏。しかし、キャリアを積んでいくうちに、いつしか体で覚えた技術に頼り、頭で考えることなく手先だけで機械的に仕事をしている自分に気付いた。
文化財は、同じような外見であっても、一点一点、作られた時代背景や材質、痛み具合などがまったく異なる。それらの文化財に対し、機械的に惰性で仕事をすることは許されない。どれだけ慣れ親しんだ仕事であっても、決して「習熟」せず、そのつど新たな気持ちで臨み、常に考えながら手を動かすことこそ、いい仕事をするための秘けつだと鈴木氏は考えるのだ。
「奥の深い”技術”」
文化財修理技術者にとって、手先の技術が大事なのはもちろんのこと。しかし、大切なのは単なる修復のスキルだけではない。
はるかな昔から、さまざまな人の思いに支えられて今に伝えられてきた文化財。その背景には、たくさんの文化や歴史がある。それを受け止めることができる知識や気持ちを持った上で腕をふるうことのできる技術、すなわち「奥の深い技術」こそが最も大切なものだと鈴木氏は考えている。
そんな鈴木にとって、自分の信じる修復の心を、後進の技術者に教え伝えることが現在の大きなテーマである。
ヤマトがこれ以上に何かをコメントする必要は無いでしょう。
ただ、「文化財」或いは「紙」という言葉を、現場に置き換えるとどうなるか?
ヤマトは、鈴木氏の言葉に逐一”納得”した次第です。
改めて現場と向き合うことの重要性を感じると共に、まだまだ未熟な己への叱咤となった鈴木氏との出会いでした。
しかし、これまでのスタンスが間違ってはいなかったとの思いを強くすることはできました。
上記の3つのコメントは、考えようによっては技術士試験で求められている内容を網羅していると言えます。
少なくとも、上記3つの視点だけで3,000字程度の論文ならば即座に書けるような気がします。
それほどにインパクトのある言葉です。
それより、何よりこうした方がいらっしゃって、第一線で頑張っていらっしゃる姿を拝見できることは、同時代を生きる者として嬉しく思えて仕方ありません。
技術士とは、高等の専門的応用能力が求められる資格ですが、その前に”心”が如何に大切かを知るべきでしょう。
今、来年の試験へ向けての構想を練っているところです。
さらに総監を深掘りするためにはどうすべきなのか?
自問自答は続きます。
年内には何らかの結論を出したいと考えているところです。
残すところ試験まであと8ヶ月弱。
たゆまぬ努力を続けていきましょう♪
ではまた。