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プロフィール
HN:
ヤマト(^_^)v
HP:
性別:
男性
趣味:
サッカー日本代表の応援
自己紹介:
■技術士(総合技術監理部門)
■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
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ヤマトです。
愛煙家ヤマトを卒業致します。
理由は、健康への影響が大きいのですが、もう一つ大切な事情があります。
それはここでは記載できませんが。。。
大切なものの為とだけ記載させて頂きます。
思い返せば学生時代から吸い始めたタバコ。
最初は見よう見まねで始めましたが、ちっともうまいなどとは思えませんでした。
ところが、人間とは不思議なものでいつしか依存症に陥っていきました。
同時に、タバコの味やきつさに興味が移り、あれこれ異なる銘柄に手を出していたことが昨日のように蘇ります。
吸い始めた頃はセブンスターでした。
これがごくごく一般的な選択銘柄だったと思います。
その後、タバコに健康志向というのも変ですがマイルドセブンへと移りました。
これには意味はありませんが、新しい銘柄の登場に対する好奇心というところだったと思います。
しかし、飽きたらずショートホープに移りましたが、短くて即吸い終わってしまうことと、お金のない学生時代ですから単価の安いハイライトへと即座に変わりました。
ロングピースにも手を出したことがありますが、これはさすがにバイトで肉体労働をしている時ぐらいしか吸うことができませんでした。
吸うことができないというのは、ニコチンとタールを吸い込んでいるのが如実に分かる感じで、さすがにこれは体を壊しそうだという感覚を持ったという意味です。
しかし、肉体労働をしている時は、通常レベルのタバコでは空気を吸っているようで、ちっともうまさを感じないのです。
夏休みの炎天下での建設現場における肉体労働はきつかったのを覚えていますが、この時にすったロンピーはうまかったなぁ。。。
汗が滴り落ち、やがてそれが乾いて塩になり、顔に触るとザラザラとした感覚があり、指先でそれをなめてみるとしょっぱいんです
でも、バイトが終わる夕方くたくたになりながら、吸うロンピーは仕事をしたぁという感覚を一層高めてくれると共に、開放感を与えてくれました。
その頃ファミレスのバイトもしていましたが、慣れない接客作業よりも、建設現場での作業の方が好きでした。
しかし、体力的に保たなかったのも事実です。
したがって、肉体労働を継続して行うことはできませんでした。
この時思い知らされたのは、建設現場は体力勝負だということでした。
当たり前と言えばそれまでなのですが、身をもって体験することの重要性を初めて理解させて頂いた時だったと思います。
高校時代は体を鍛えるなどという意識が存在しなかったので、体力は最低レベルだったと言えるでしょう。
ですからこの時の経験は後のヤマトの人生に大きなインパクトを与えたと言っても良いでしょう。
ロンピーさん、ありがとう♪
なんか変ですね。
そして、やがて学校を卒業し福島県の片田舎が勤務地となった。
以前からブログをお読み下さっていらっしゃる方にはお馴染みでしょうが、
そう、あのラーメンで有名な喜多方です。
喜多方を片田舎と言うのは失礼かもしれません。
しかし、岡山から東京を過ぎてさらに北上するだなどと考えの範囲に無かったため、とんでもない遠くへ来たもんだと思いました。
当時はまだ東北新幹線が開通していない時代でした。
岡山から東京まで新幹線で行き、さらに上野から東北本線の特急で福島、そして磐越西線で喜多方へ。
この磐越西線はスイッチ・バックがまだ残る路線でした。
車窓から見た猪苗代湖、今から思えば山田寅吉氏やファン・ドールン氏の業績や足跡を思い描いていたら、もっと違った見え方をしたのだろうと思いますが。。。
いよいよ遠くに来てしまったと故郷からの距離を改めて思うだけでした。
喜多方駅に降り立ち、町の小ささに驚いたことを今でも思い出します。
しかし、この長い道中タバコは吸いたい放題だったことだけが救いでした。
この頃は一体何を吸っていたのかなぁ???
キャスターだったような気がしていますが、定かではありません。。。
不思議です。
あの当時はまだ喜多方のラーメン知名度はローカルなものでした。
しかし、ラーメン屋さんの多さといい、そのレベルの高さといい、印象に強く残っています。
坂内食堂の「肉そば」、チャーシューがどんぶり一面を覆っており麺が全く見えないラーメン
大三元の「タンメン」、これはヤマトのお気に入りでした
しかし、この当時車を持っていなかったので、活動範囲は極めて狭く、ほとんど近隣の観光などを行うことができませんでした。
というよりも余り興味が無かったと言えます。
当時は、スポーツに熱狂しており、野球,テニス,スキーと休日はいずれかを必ずしていた記憶があります。
しかし、タバコだけは止めることができませんでした。
スポーツをしてみると明らかなのですが、タバコの影響ってかなり厳しいんですよね。
そして、やがて故郷・岡山へ帰ってくることになります。
喜多方で習慣化したスポーツは、岡山へ帰ってきてからも仕事よりも熱中する分野となりました。
仕事は二の次で休みの日にはスポーツ三昧。。。
遊んだ。遊んだ。
そのために技術屋として必要なスキルアップを怠ってしまた。。。
この頃はなぜだかタバコは香りにこだわり、ゴロワーズとかいう銘柄を吸っていた。
これが周囲から臭いと悪評著しい銘柄だった。
薄いブルーのパッケージがお気に入りだったけれど、周辺影響を考慮してこの銘柄の喫煙を断念することになるのです。
技術屋としては岡山へ帰って4年を経過した時転機を迎えます。
技術士との出会いです。
当時の所属長がホルダーであったこと、加えて所属長と懇意になさっていらっしゃったコンサルの社長さんがホルダーであったのです。
このお二方とお目にかかれなかったら、今のヤマトは絶対にありません!!!
間違いない!!!
凄かったですよ!やはりこのお二方は...
視点が全く異なっていました。
技術とはこうあるべきなのかぁ。。。
この時初めて感じた新たな世界だったと言っても良いでしょう。
そして、このお二方を目標に進むことになるのです。
しかし、決意したから取得できるほどのスキルがヤマトにあるはずもなく、毎年参加することに意味がある。
こうした状態でした。。。
もちろんお二方にご指導を頂きましたが、おっしゃることがサッパリ意味不明???
したがって、チャレンジするものの全く手応えもなく、はね返され年数ばかりをムダに費やす結果となっていました。
この時のことを思い出すと思うのですが、全くの勘違いだったのです。
技術士とは「科学技術に関する高等の専門的応用能力」の高等にばかり目線がいってしまっていました。
ですから、結果ばかりに意識が集中し、もっとも大切にしなければならないプロセスが蔑ろになっていました。
こうした状態では結果がついてくるはずもなく、連戦連敗の年月でした。
このためストレスは貯まる一方で、大酒を飲み憂さを晴らす日々が続いていたように記憶しています。
当然こうなると悪循環でタバコの本数も増加の一途を辿ります。
酒を飲み始めると一晩で40本ぐらいは平気で吸っていたでしょうね
全く自慢にならない昔のお話しです。
ただ、現在Outputで悩みを抱える原因はこの頃の悪行の影響であることは間違いないような気がしています。
この頃吸っていたのは、キャスターマイルドだったように記憶しています。
これも周囲から臭いと良く言われていました。
そして...
いったい何年が経過したのでしょうか???
吸ったタバコの種類も数知れず。。。
ともかく最近はフィリップモリス1を吸っています。
概ね1日一箱弱。
タバコと共に歩んできた技術者人生ですが、ここでタバコとおさらばです。
寂しい気持ちもありますが、決めた以上は「守り抜く」
この決意を表すためここに「禁煙宣言」を致しました。
タバコよ永遠にさようなら!
では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
愛煙家ヤマトを卒業致します。
理由は、健康への影響が大きいのですが、もう一つ大切な事情があります。
それはここでは記載できませんが。。。
大切なものの為とだけ記載させて頂きます。
思い返せば学生時代から吸い始めたタバコ。
最初は見よう見まねで始めましたが、ちっともうまいなどとは思えませんでした。
ところが、人間とは不思議なものでいつしか依存症に陥っていきました。
同時に、タバコの味やきつさに興味が移り、あれこれ異なる銘柄に手を出していたことが昨日のように蘇ります。
吸い始めた頃はセブンスターでした。
これがごくごく一般的な選択銘柄だったと思います。
その後、タバコに健康志向というのも変ですがマイルドセブンへと移りました。
これには意味はありませんが、新しい銘柄の登場に対する好奇心というところだったと思います。
しかし、飽きたらずショートホープに移りましたが、短くて即吸い終わってしまうことと、お金のない学生時代ですから単価の安いハイライトへと即座に変わりました。
ロングピースにも手を出したことがありますが、これはさすがにバイトで肉体労働をしている時ぐらいしか吸うことができませんでした。
吸うことができないというのは、ニコチンとタールを吸い込んでいるのが如実に分かる感じで、さすがにこれは体を壊しそうだという感覚を持ったという意味です。
しかし、肉体労働をしている時は、通常レベルのタバコでは空気を吸っているようで、ちっともうまさを感じないのです。
夏休みの炎天下での建設現場における肉体労働はきつかったのを覚えていますが、この時にすったロンピーはうまかったなぁ。。。
汗が滴り落ち、やがてそれが乾いて塩になり、顔に触るとザラザラとした感覚があり、指先でそれをなめてみるとしょっぱいんです
でも、バイトが終わる夕方くたくたになりながら、吸うロンピーは仕事をしたぁという感覚を一層高めてくれると共に、開放感を与えてくれました。
その頃ファミレスのバイトもしていましたが、慣れない接客作業よりも、建設現場での作業の方が好きでした。
しかし、体力的に保たなかったのも事実です。
したがって、肉体労働を継続して行うことはできませんでした。
この時思い知らされたのは、建設現場は体力勝負だということでした。
当たり前と言えばそれまでなのですが、身をもって体験することの重要性を初めて理解させて頂いた時だったと思います。
高校時代は体を鍛えるなどという意識が存在しなかったので、体力は最低レベルだったと言えるでしょう。
ですからこの時の経験は後のヤマトの人生に大きなインパクトを与えたと言っても良いでしょう。
ロンピーさん、ありがとう♪
なんか変ですね。
そして、やがて学校を卒業し福島県の片田舎が勤務地となった。
以前からブログをお読み下さっていらっしゃる方にはお馴染みでしょうが、
そう、あのラーメンで有名な喜多方です。
喜多方を片田舎と言うのは失礼かもしれません。
しかし、岡山から東京を過ぎてさらに北上するだなどと考えの範囲に無かったため、とんでもない遠くへ来たもんだと思いました。
当時はまだ東北新幹線が開通していない時代でした。
岡山から東京まで新幹線で行き、さらに上野から東北本線の特急で福島、そして磐越西線で喜多方へ。
この磐越西線はスイッチ・バックがまだ残る路線でした。
車窓から見た猪苗代湖、今から思えば山田寅吉氏やファン・ドールン氏の業績や足跡を思い描いていたら、もっと違った見え方をしたのだろうと思いますが。。。
いよいよ遠くに来てしまったと故郷からの距離を改めて思うだけでした。
喜多方駅に降り立ち、町の小ささに驚いたことを今でも思い出します。
しかし、この長い道中タバコは吸いたい放題だったことだけが救いでした。
この頃は一体何を吸っていたのかなぁ???
キャスターだったような気がしていますが、定かではありません。。。
不思議です。
あの当時はまだ喜多方のラーメン知名度はローカルなものでした。
しかし、ラーメン屋さんの多さといい、そのレベルの高さといい、印象に強く残っています。
坂内食堂の「肉そば」、チャーシューがどんぶり一面を覆っており麺が全く見えないラーメン
大三元の「タンメン」、これはヤマトのお気に入りでした
しかし、この当時車を持っていなかったので、活動範囲は極めて狭く、ほとんど近隣の観光などを行うことができませんでした。
というよりも余り興味が無かったと言えます。
当時は、スポーツに熱狂しており、野球,テニス,スキーと休日はいずれかを必ずしていた記憶があります。
しかし、タバコだけは止めることができませんでした。
スポーツをしてみると明らかなのですが、タバコの影響ってかなり厳しいんですよね。
そして、やがて故郷・岡山へ帰ってくることになります。
喜多方で習慣化したスポーツは、岡山へ帰ってきてからも仕事よりも熱中する分野となりました。
仕事は二の次で休みの日にはスポーツ三昧。。。
遊んだ。遊んだ。
そのために技術屋として必要なスキルアップを怠ってしまた。。。
この頃はなぜだかタバコは香りにこだわり、ゴロワーズとかいう銘柄を吸っていた。
これが周囲から臭いと悪評著しい銘柄だった。
薄いブルーのパッケージがお気に入りだったけれど、周辺影響を考慮してこの銘柄の喫煙を断念することになるのです。
技術屋としては岡山へ帰って4年を経過した時転機を迎えます。
技術士との出会いです。
当時の所属長がホルダーであったこと、加えて所属長と懇意になさっていらっしゃったコンサルの社長さんがホルダーであったのです。
このお二方とお目にかかれなかったら、今のヤマトは絶対にありません!!!
間違いない!!!
凄かったですよ!やはりこのお二方は...
視点が全く異なっていました。
技術とはこうあるべきなのかぁ。。。
この時初めて感じた新たな世界だったと言っても良いでしょう。
そして、このお二方を目標に進むことになるのです。
しかし、決意したから取得できるほどのスキルがヤマトにあるはずもなく、毎年参加することに意味がある。
こうした状態でした。。。
もちろんお二方にご指導を頂きましたが、おっしゃることがサッパリ意味不明???
したがって、チャレンジするものの全く手応えもなく、はね返され年数ばかりをムダに費やす結果となっていました。
この時のことを思い出すと思うのですが、全くの勘違いだったのです。
技術士とは「科学技術に関する高等の専門的応用能力」の高等にばかり目線がいってしまっていました。
ですから、結果ばかりに意識が集中し、もっとも大切にしなければならないプロセスが蔑ろになっていました。
こうした状態では結果がついてくるはずもなく、連戦連敗の年月でした。
このためストレスは貯まる一方で、大酒を飲み憂さを晴らす日々が続いていたように記憶しています。
当然こうなると悪循環でタバコの本数も増加の一途を辿ります。
酒を飲み始めると一晩で40本ぐらいは平気で吸っていたでしょうね
全く自慢にならない昔のお話しです。
ただ、現在Outputで悩みを抱える原因はこの頃の悪行の影響であることは間違いないような気がしています。
この頃吸っていたのは、キャスターマイルドだったように記憶しています。
これも周囲から臭いと良く言われていました。
そして...
いったい何年が経過したのでしょうか???
吸ったタバコの種類も数知れず。。。
ともかく最近はフィリップモリス1を吸っています。
概ね1日一箱弱。
タバコと共に歩んできた技術者人生ですが、ここでタバコとおさらばです。
寂しい気持ちもありますが、決めた以上は「守り抜く」
この決意を表すためここに「禁煙宣言」を致しました。
タバコよ永遠にさようなら!
では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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