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プロフィール
HN:
ヤマト(^_^)v
性別:
男性
趣味:
サッカー日本代表の応援
自己紹介:
■技術士(総合技術監理部門)
■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
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ヤマトです。

土木学会誌の特集企画に直接関係する図書ももちろんありますが、どうも図書館で本を探していると直接関係のない本にも手が伸びてしまい、ついつい借りすぎてしまいます。

中に次のような図書がありました。
リスクプリベンション工学―技術者の危機管理学
タイトルにつられてついつい手に取ったのが運の尽き。
借りてしまいましたぁ。。。
中身はというとまさに総監のリスクマネジメントそのものでした。
青本の中からのキーワードがゴロゴロ盛り込まれていて、青本の解説本と言ってもいいような本でした。
特に、この本は具体的な事故事例を取り上げて、解説を加えてある点が青本とは大きく異なり、取り上げてある事例も過去問に登場したことのある事例でした。
おそらく技術士の方が書かれた本だったのでしょう。
タイトルからは青本よりも更に上のレベルの内容を扱ってあるのかと期待して借りたのですが、少し期待過剰だったのかもしれません。

総監におけるリスクマネジメントを理解するには役に立ちそうな本であると思いましたが、推薦まではしませんので自己責任で買うか借りるかはご判断下さい。

三方良しの公共事業改革

次に、面白いタイトルの本でしたのでこれも借りてきました。
「買い手良し、売り手良し、世間良し」
これを称して『三方良し』。
実はこの本、TOC理論に基づくCCPM(Critical Chain Project Management)を実践するための本なのです。
分かり易く解説してあり、ついつい引き込まれて読み切ってしまいました。
これは是非お読みになることをお薦めいたしますが、買ってまでというのは如何なものでしょうか?
借りることができればそれに超したことは無いでしょう。
一度読めばだいたい内容は理解できますから。
但し、有用なシートが巻末に添付されていますから、これはコピーでも取って自分流儀に改造を加えて使用されてはいかがでしょうか。

この本の特徴は、公共事業に関連する方々、つまり発注者と受注者双方にとって有益な情報が盛り込まれています。
特に、現在建設部門が抱える諸問題について外部要因に原因を求めるのではなく、自らに内在する原因を特定し改善を図っていくという根本的なポイントを見つけさせてくれます。
スキル低下の著しい公共事業発注担当者や残業が恒常化する反面利益率の低下が著しい公共事業を受注する建設コンサルタント並びに建設業者の方々にとっては、未来を照らす希望の光を与えてくれるのではないかと思える内容になっています。

上記の他にも6冊ほど借りてきて、内容をサクッと眺めましたが、それだけで土日は終わってしまいました。
いったい何時になったら試験勉強を開始する気になることやら。。。
何だか他人事のように聞こえるでしょうが、作用反作用の関係で現在は昨年の反動期なものですから仕方が無いのです。
今年はあくせくせず、ノンビリと機が熟すのを待つ他ありません。
問題はその時期が試験前に訪れることを願うだけです。
プライオリティが昨年度とは異なり低いのですから致し方ありません。
しかし、機が熟するのを促す仕掛けだけは準備していますから、今週からは否応なしに対応せざるを得ないのです。
ヤマト、いよいよ動きます。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

以前メインで使っていたPCがマザーボード故障のため使用不能になり、その後復活させて使っていたPCも瀕死の状態に陥って、ヤマトのIT環境はとても脆弱なものになってしまっていましたが、やっと昨夜New Machnineのセットアップが終わり、こうしてブログを更新できる環境が整いました。

以前、ブログに書いたとおり今度はノートタイプではなくデスクトップタイプです。
久々のデスクトップ。
やはりMachine自体がデカイ。
しかし、快適です。
specの低いノートとは比べものにならないresponseにニンマリ。

ただ。。。
OSがVISTAというのが少々難点です。
これまでXPをメインで使用してきましたから、VISTAの動作環境に慣れていません。
ですから、動作シナリオが予測できず、あれっ?あれっ?の連続です。
High specの割に相当の低廉価格だったのだからやむを得ませんが、この点が問題です。
しかし、わざわざXPに費用をかけてdowngradeするまでも無く、やがて慣れると思いますからまぁ良しとしましょう。

まずは機器の接続を完了し、OSが正常に起動することを確認した後、普段使用しているapplicationを次々に追加しました。
MS Office、一太郎、Photo Shop,、Acrobat Writer、Free Mind、Skypeとりあえずこれだけ追加しました。
後はぼちぼちと追加していこうと思います。

一応使用環境が整ったので、病院へ行った後図書館で調べものをし、帰宅後は存分に使えるMachineへと更なるupgradeをしたいと思っています。

では行ってきます♪

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

たかだか見開き2Pのインタビュー記事
(土木学会HPより引用http://www.jsce.or.jp/journal/konohito/200905.pdf)ではありますが、その中には様々な人間ドラマがあります。

インタビューそのものにおける人間ドラマがあると同時に、編集という場における人間ドラマもあります。
とりわけ編集作業は編集委員により行われますが、これはすべてボランティアにより行われるものです。

ヤマトも読ませて頂き、様々な有益情報を頂く日経コンストラクションはプロの編集者が作成していらっしゃる所謂商業誌です。
読み応えがあって然るべきであり、これと土木学会誌を同列に扱い比較することはナンセンスだという意見が編集委員会の中にも事実存在します。

しかし、ヤマトは決してそうは思いません。
なぜならば土木学会の資源、特に人的資源は明らかに日経コンストラクションの保有する資源を凌駕しています。
しかも、情報コンテンツは学会のHPをご覧頂けばお分かりのとおり、その量たるやべらぼうなものがあります。
日経コンストラクションに比べ、土木学会誌が劣るとするならば、編集者のスキルの差であると言わざるを得ません。

ボランティアと言えども、日経コンストラクションに負けたくはありません。
イヤ、負けてはならないと思うのです。
皆さま方からいろいろとご意見を頂戴し、編集者の不足する視点を補って頂き、さらに一層良い機関誌としていきたいと考えていますので、今後とも何卒宜しくお願い致します。

さて、今回の紀行文、如何だったでしょうか?

インタビューを担当したヤマトとしては、もったいないという気がしてならなかったのです。
如何に多くの有益情報を廃棄してしまっているかということについてです。
今回掲載した内容をご覧頂ければ、学会誌の紙面上からうかがい知る映画監督・木村大作氏の人となりがさらに一層鮮明となり、映画『剱岳 点の記』という作品に込められた意思を明確に読み取ることができたのではないかと思います。

できうることならば、インタビュー記事は再編集を行い、別冊にて出版したとしても決して陳腐なものにはならないような気が致します。
情報にも価値があります。
廃棄してしまえばゴミにしかなりません。
形の無いゴミかもしれません。
処理費用のかからないゴミかもしれません。
しかし、その情報収集に充てられた時間コストはいったいどうなるのか。
B/Cを考えても十分に有益であるとは言えないように感じられてなりません。

今後、土木学会誌という紙面情報と土木学会HPでの電子情報のあるべき姿を本格的に論じなければならない時期がやってきます。
それぞれの立場と役割。
決して情報をフローとして扱ってはならない。
ストックし活用するという視点を失ってはならない。
このようにヤマトは感じます。

ところで、今回のインタビューではその冒頭に
「インタビューということを今までに行ったことがなく、今回が初めてのことなのです」と木村監督に申し上げました。
すると木村監督は
「インタビューは慣れているから、僕が仕切ってあげましょうか♪」
「どういうスタイルが良いかなぁ。。。」
このように茶目っ気タップリにお話下さいました。
もちろんさすがに「ではお願い致します」とは申しませんでしたけど。。。

インタビュー終了後、先に記述致しましたとおりの課題を解決しなければなりませんでしたから、東映㈱のご担当者の方とは頻繁にメールやTELでお話をさせて頂く機会がありました。
ある時このご担当者の方が、木村監督がこの間このようなことをおっしゃっておられましたと、以下の内容を伝え聞きました。
「この間のインタビュー、どこのだったかなぁ。。。土木学会かぁ。。。あれ、インタビューが初めてだって言ってたけど、良いインタビューだったよね」
このお話を頂いた時は、正直嬉しさがこみ上げてきました。
十分な準備時間があったとは言えない状況下ではありましたが、様々な情報収集により木村監督のアウトラインや映画『剱岳 点の記』の概要などをベースとしながら、土木学会や今回の特集企画の方向性との交差部分に関する質問事項が、木村監督のストライク・ゾーンにかろうじて入っていたことを裏付けるものとして解釈致しました。
やはり努力は報われるのだと思った次第です。

ところが、続いて東映㈱のご担当者から次のようなコメントを頂きました。
「だから2ケ月に亘ってインタビュー記事を掲載された方が良いのではないですか?」
おっと。
来た。来た。
そっちから来たかぁ。。。
「誠に申し訳ございませんが、インタビュー記事は1回完結というのが一応の原則になっておりますので、何卒ご理解のほど宜しくお願い申し上げます」ヤマトはこう説明し、ご納得を頂きました。

すると、今度は
「では、映画の封切りが6月20日ですから、5月号への掲載ではなく6月号へ移行するというのはどうでしょうか?」
今度はそっちかぁ。。。
「誠に申し訳ございませんが、今回のインタビューは特集記事に連動して企画されたものでございます。したがいまして、掲載時期の変更は難しいのが実情でございます。何卒ご賢察の上、ご理解のほど宜しくお願い申し上げます」と説明をし、これもご理解を頂きました。

木村監督は、気さくな方である一方、気骨があり一本筋の通った男気のある方という印象を事前のリサーチにより理解していましたが、インタビューを通じまさにそのとおりの方であったことを嬉しく思いました。
ヤマトとは性格上少々異なるかと思っておりましたが、インタビューでのコミュニケーションにおいては思考回路が比較的近く共感できる部分の多いことからどんどん深いところへ話が及んでいくことを自ら認識していました。
その結果が、おそらく監督の感想につながったのではないかと今さらながら感じているところです。

『黒部の太陽』『剱岳 点の記』『パッテンライ』と土木関連の映画が次々と脚光を浴びています。
それぞれの主人公は決して派手さがある訳でなく、むしろ地味にそして地道に黙々と仕事をこなしているだけに過ぎません。
しかし、その姿にこそ真実があり、人の生き様が現れていると言え、単純であればあるほど人の心に響くとも言えるような気がします。
つまり、難しいことをあれこれかみ砕いて説明をするよりも、百聞は一見に如かず。
現地見学会などを頻繁に企画・計画し実行することを我々土木技術者は率先して行う必要があるように感じます。
そうした土木技術者と一般市民との接点を徐々に拡張し、市民参加型の土木事業へと発展をさせていくべきではないでしょうか。
PIやPPPなどと市民参加を促す用語は多数存在しますが、それらを実践するための基盤を作らずして有効に働くとは到底思えません。

次代の土木を考える時、あらゆる制約条件の変化を見通し、要求整備水準を議論し合意形成を図った上で可能なシナリオを作り上げなければなりません。
ここには総監的視点が不可欠と言え、総監技術者は率先して将来構想を代替案として提案し、議論の先陣を切るべきと考えます。
総監は飾りではありません。
使わない、或いは使えない総監は必要ありません。

今、ヤマトは懸命に11月号の特集企画シナリオを作成しています。
詳細が未だ固まっていませんが、「地方特集」と位置づけたいと考えています。
そして、そのスコープは「道州制移行後の地方シナリオ」にできないかと考えているところです。
どのような内容でも結構ですから、この特集に関する皆さまからのご意見を心よりお待ち申し上げております。

長かった紀行文ですが、いよいよこれで最後です。
本当はインタビュー終了時点で終わった方が良かったのかもしれません。
その判断は皆さま方がお考え下されば結構かと思います。
最後までお付き合い下さった方々に御礼を申し上げまして、この紀行文を閉じさせて頂きます。
ありがとうございました。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

まずお断りしておきたいことは、この紀行の第二部を批判的な視点で記述している訳ではないということです。

今年度、土木学会誌の編集委員には多数の応募があったそうです。
そして、今年度は一般からの応募者の大半にお断りをしたそうです。
応募者が多いということは歓迎すべきことでございます。
興味を持って頂き、読む側から作る側にスタンスをシフトするということは、周辺域へ大きなインパクトを与える可能性が高いからです。

但し、大所帯の編集委員会であり、参加なさっていらっしゃる大半は有名大学の先生であったり、大企業の職員さんであったりしますから、ヤマトのような者はどうしても気後れしてしまいます。
そうでない方は良いのでしょうが、場の雰囲気とシステムに慣れるまでにやはり時間がかかりました。
また、毎月1回の編集委員会への参加は最低限のノルマと言え、これに加えて記事を作成するとなった場合、さらに出張を要することになります。
つまり、ある程度本来の業務に負担がかかることは否定できません。
現実ヤマトが所属するグループには業務の都合で編集委員会の大半を欠席される方もいらっしゃいます。
そうなるとグループメンバーの頭数は整っていても、グループとしての活動は機能しないことになってしまいます。

編集委員会の新年度は毎年5月からスタート致します。
先般配布の土木学会誌5月号に学会誌の単価について記述がありました。
いずこも同じでコスト縮減が求められています。
その影響で、新年度から編集委員の人数は減ることになっています。
そして、そのため現在のグルーピングはとても中途半端な状態になっています。
ヤマトが新年度に所属するグループには既メンバーがお一人だけの状態で、それが明らかになりましたのは4月の編集委員会前日でした。

このように通常業務と同じように、編集委員会やその活動の中には様々な制約条件が発生します。
同時にトレードオフも発生します。
100点満点は不可能。
しかし、関係するすべての方々が概ね納得できるところを探し、方向付けしていく。
こうしたことが必要なのです。

今回の紀行第二部も同様な趣旨で書いているつもりです。
決してどなたかを批判的に扱う考えは毛頭ございません。
それぞれに立場とお考えがあることは当然だからです。
その接点や共通項を見つけ出し、PMPさんがおっしゃる全体最適を目指すという考え方が大切なのだと思います。
そのための題材として今回の紀行を例に扱ったというご理解を皆さまにお願い致したく、某ま●づ●りさんがおっしゃるような長文になってしまいました。
申し訳ありません。
決して今回の記述内容をもったいぶっている訳ではないことを申し上げます。

しかし、本当に長い前段となってしまいました。
これからが今回の本論です。
いやはや長い。。。

さて、本論に入りましょう。

今回の課題を整理・要約すると以下のようになると考えます。

◎東映㈱のご担当者の要望
・「この人に聞く」を掲載する頁に映画PR用の写真と出演者のクレジットを掲載すること

◎土木学会の希望
・「この人に聞く」の頁ではご本人の写真以外は掲載しないこと
・「この人に聞く」の頁では企業PRに該当するような内容を掲載しないこと

上記以外の要望もございましたが、これらについては説明をし一応ご納得を頂きました。

上記の課題をWin-Winの結果に導くためには如何に対応するべきか。
これが今回のミッションということになります。

このミッションを解決する糸口が実は存在しました。

それは、今回の「この人に聞く」のターゲットをなぜ映画監督・木村大作氏にしたかという点です。

お手元に土木学会誌5月号をお持ちの方はご覧頂きたいのですが、P12からp28の特集企画です。
今回のテーマは『土木と市民をつなぐサイエンスコミュニケーション』です。
そして、この中の特集企画をお読み下さい。
ここには、以下の内容に触れてあります。
「本特集では、日露戦争直後、日本地図完成のために命をかけて未踏の剱岳初登頂に挑んだ・・・映画『剱岳 点の記』・・・の本年6月の公開に合わせ、土木の魅力を発信する機運を・・・」

これがこの特集の原点になっているのです。
つまり、特集企画がメインディッシュであり、「この人に聞く」はオードブルという訳なのです。
であればオードブルで映画PR用写真や出演者のクレジットを掲載するよりも、メインディッシュに盛りつけた方がインパクトは大きいし、メインディッシュそのものも豪華に見える。
このように考えた次第です。

そこで、映画PR用の写真と出演者のクレジットについては特集企画に掲載し、「この人に聞く」の頁では関連頁を記載する。
こうした案を創出したのでした。

これを具体的に説明するため原稿案を特集主査と相談し作成の後、編集委員会の三役の方々にご覧頂き説明をしました。
そして、ご理解を得ることに成功しました。

さて、問題はこの考え方と内容を東映㈱のご担当者にどのようにご説明をするかという点になりました。
問題発生はヤマトがインタビューを行う直前に発生しました。
それまでの間東映㈱のご担当者との情報連携は特集主査が行っておられました。
情報ルートが複数存在することを許容するのは危機発生時のことであり、安心のための情報ルートは単一が理想です。
したがって、東映㈱のご担当者への説明はヤマトが一元的に行うこととし対応させて頂きました。

そして、説明の趣旨は以下のとおりです。
「○○様のおっしゃるご要望につきまして編集委員会の中で協議致しました結果、誠に申し訳ございませんが、インタビュー記事の頁に映画PR用写真と出演者のクレジットを掲載することはできないという結論になってしまいました。しかし、今回の特集企画の発想の原点に映画『剱岳 点の記』があることは間違いのないところでございますから、この特集の方で映画PR用写真と出演者のクレジットを掲載させて頂きます。こうした対応で如何でしょうか?」

これに対して、先方のご担当者は、
「木村監督の写真と同じ頁であることが本当は理想なのですが、学会の方のお考えがそうであるならば致し方ありません。結構です」と

もちろん実際にはこれらのやりとりがこんなに単純であった訳ではございません。
至る所で紆余曲折が発生し、様々な変更を繰り返した結果こうした方向修正に至り、現在皆さま方のお手元にお届けできたような内容になったという次第でございます。

総監的アプローチだから読み逃してはなりませんと言いながら、本当に大切な部分が実は掲載できない点に難点がございますが、内容が誠に微妙であることをご賢察頂きご理解の程を宜しくお願い致します。

それはすべて批判的に今回の一件を扱いたくないという思いからでございます。

以上が大まかな課題解決のプロセスでございます。
読者視点で見れば、大したことをしている訳ではないと見える編集作業も組織内に入って実際担当してみると結構大変なこともある訳でございます。

しかし、そうした姿にもヤマトの部下は「楽しそうですね♪」などと声をかけてきます。
えっ!?
一体どこをどう見れば楽しそうに見えるのだろうか???
こんなに苦しんでいるのに。。。
このように思った次第です。

今も特集企画の考案に苦しんでいますから、傍目には楽しそうに見えているのだろうか???
そんな風に思えてきます。

さて、第二部はあっさりと終わってしまったようですが、実際の最終回は次回とさせて頂きます。
次回は後日談をお届けしたいと思っています。
しかし、お話のてっぺんは越えてしまいました。
次回はちっとも面白くないと思います。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

GWも開け、再び戦場へ戻られた方が多いのではないでしょうか?
中にはGWの間中戦場にいたとおっしゃる強者もいらっしゃるのかもしれません。
いろいろなお立場や事情はございましょうが、ともかくスイッチをオンにしなければなりません。
しかし、いきなりアクセルをふかすとマズイかもしれませんね。
どうかご注意を!

さて、まちづくりさんから激励を頂きましたので、しばらく時間をおいた後に第二部ともいうべき部分を書こうかと考えていましたが、とっかかりだけは書いておこうと考えて記述させて頂きます。
本当は特集企画を本気で考えなければならないのですが、四六時中そんなことばかりやっていると、いい加減ウンザリしてしまいますので気分転換と位置づけて書かせて頂きます。

スタッフと別れて、徒歩で東京駅へ向かいました。
事前にあちこちブラブラしたおかげで、わざわざ有楽町駅からJRに乗らなくても東京駅までは十分歩いて行ける距離だと分かっていたからです。
何事も経験こそあらまほしきかな!
ですね。

さて、事前に予約していた新幹線は15:30ぐらいに出発の予定でしたから、少々早歩きで行かなければなりませんでした。
そうなるかもしれないことを予測して、事前に旅行バッグは東京駅のコインロッカーに預けてありましたから、ほとんど走って東京駅に向かいました。
そのおかげで十分とは言えないまでも余裕を持って新幹線に乗車することができました。

この時には既に技術士試験における口頭試験も終わっていたため、特別何か勉強しなければならないという目的もありませんでした。
そのため、乗車直後はインタビューの内容とか処理しなければならない問題について思いを馳せながら時間を費やしたように記憶しています。
やがて睡魔が襲ってきたので、やがて夢の世界へと誘われていきました。
ふと気がつくと間もなく名古屋へ到着というようなアナウンスが耳に飛び込んできました。
あ~まだ名古屋かぁ。。。
まだ随分とあるんだなぁ。。。
その時には既に辺りが暗くなりかかっていたように思います。
それからおもむろにバッグの中から雑誌を取り出して読み耽りました。
そうこうしている内にやっと岡山へ到着です。
そして、自宅へ帰りました。

さて、翌日です。
国民的に祝日であったため、インタビューを行う前に東映のご担当者の方から頂いた要望についてまとめ、土木学会編集課のご担当者へその内容をメールでお送りしました。

そして、さらに翌日。
たまたま午前中はスケジュールが空いていたため、土木学会編集課へTELを入れ、送った資料の内容説明と編集委員会の三役への方向について相談させて頂きました。
そして、編集課の方から三役へヤマトのメールを転送して下さることになりました。

やがて、三役の方々から対応についての反応が個別に返信されてきました。

ある方からは、釈然としないながらも対応せざるを得ないのかもしれない。

また、ある方からは、「この人に聞く」は企業関係者も多数登壇される。
その方々も当然その紙面を利用して企業PRをしたいと考えているはずだが、これについては学会という性格上すべてお断りしてるのが実情だ。
したがって、「この人に聞く」の紙面に映画のPR用写真や出演者のクレジットを掲載することは断じてならない。
もしも、そうしたいなら広告料を支払って、別頁に掲載するというなら理解する。
しかし、現状においては、相手の要望をのむことは決してできない。
なぜそのような要望がインタビュー前にあったにも関わらず、明確に断らずインタビューを行ったのか、対応した者の認識が甘い。
どうしてもそのような対応が紙面の上でできないというならば、インタビューに応じられないと相手側から言われたとするならば、インタビューは中止すべきであった。

さらに、ある方からは、上記意見を踏まえて、正論で言えば確かに困難な要望であるとは思うが、何か別な対応はできないものだろうか。

ある意味三者三様のご意見でした。
これにはヤマトも困りました。

既にインタビューは終わっています。
しかも、インタビュー直前の打合せ段階では、ライターさんが回答したとは言いながら、回答した内容は土木学会としての見解と相手側は受けとめたことでしょう。
したがって、既に「この人に聞く」の頁に映画PR用写真と出演者クレジットが掲載可能だと思われている可能性が高いと言えます。

次に、今回の「この人に聞く」は同月号の特集連動と位置づけられていますから、特集主査にも連絡しなければなりませんでした。

実は、今回の「この人に聞く」のインタビューもこの特集主査の方が対応される予定でした。
ところが、相手側のスケジュールがなかなか決まらなかったことに加え、やっと決まったと思った時にはインタビュー当日、この特集主査の方が業務の都合でどうしても対応できない日程となってしまっていたのです。

このためヤマトが代わって対応させて頂いたという次第なのです。
要するにヤマトはピンチヒッターだったという訳です。
このため、東映㈱のご担当者の方との連絡は、この特集主査の方が行っておられました。
インタビューを申し入れた後、この東映㈱の方との間でどのようなやりとりが行われたのかヤマトは十分に情報を得ていたという訳ではありませんでした。
このため、インタビュー前の打合せにおいて要望された内容について、特集主査の方にも水を向けてみました。
しかし、そういう内容のことは聞いていないとおっしゃられました。

さて、いよいよこれからが本番です。
如何にして今回のインビュー記事を紙面に掲載すべきか。

この対応につきましては正に総監的アプローチとなります。
ここからは読み逃しできませんよぉ~

と言いながら、ここから先は次回へ譲ります。
乞うご期待!

って。。。
最近は技術士関係の情報が全くアップできていないですねぇ。
このシリーズが終わったら、少々本気で考えなければなりません。
しばらくの猶予をお願い致します。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

GWも今日までという方が大半だと思いますが、まだ途中だよとおっしゃる方は羨ましいと感じる反面、これ以上休んでしまってはどうも再起動する時には完全にぼけてしまっているような気がしてなりません。

もっとも今年のGWはどこにも行かず土木学会誌の特集企画に集中していましたから休んだというイメージはヤマトにはあまりありませんけど。。。

さて、木村監督のインタビュー後半です。

昨日に引き続き木村監督:K、ヤマト:Yで表記致します。

Y--土木は地味であって閉鎖的なんです。
    現場で汗水たらしてやっているが、それが伝わっていない。
    われわれが説明していない。
K--しかし、土木の仕事は説明しにくいだろう。
    見たら感動するけど。
    見させなければならない。
    その難しさを感じている。
    黙々と仕事に献身しているという言い方がいちばんピッタリなんだけど。
    なかなか理解できない。
    それが難しい。

Y--たとえば道路も河川も、そうであるのが当たり前になっている。
    それが壊れて使えなくなってしまって初めてなにやっているんだよとなる。
    われわれの仕事は下支えの仕事。
    光と影、影があるから光るんだよ。
    いろいろな光の種類を当てなければ、本当のいい光というものは当てるのは難しい。
    と監督はおっしゃっていたと思います。
    われわれは影の部分だと思う。
    ならば徹底的に影に徹してみよう。
    そう思うのです。
K--黒沢もヒーローを求めるわけではなく、簡単に利が求められる時代だったけど、
    もくもくと働くしかしょうがない。
    誰かに認められようとしても、確実に相手にも伝わらない。
    そういうのは認めない。
    黙々とやって、だれがどうでもいいやとなると、認める人が出てくる。
    問題児だからいろいろともめるけど、そういうときに僕を助けてくれた人がいる。
    出会いが人生だと思っている。
    運というものが知る。
    運をうまくつかんだ。
    そういうことがないと今はない。
    認めてもらおうと思ったら常識をやる。
    違う人生をやることができたが、
    心のままに風に吹かれて気の向くままに……それも全部自分。

Y--監督はこの業界に入られるときに、11社受けて東宝に入ることが決まったと。
K--4月に入社して5月に黒沢組にいた。
    人が足らなかった。
    本数もたくさん作っていた。
    見習い期間もない。
    奴隷として現場に行かされた。

Y--そのとき入社が決まって、何か他に目指すものがあればやめられたんだと
    思いますが、ずっとこの道を歩んでいらっしゃる。
K--もちろん、やめようと思った。
    しんどいんだから。
    就職として東宝に入った。
    カメラマンがやりたくて入ったわけではない。
    たまたま人が足りなかったから。
    まわされたのは撮影助手。それが運。

Y--そこで何か面白みが見つかったのでしょうか?
K--最初はこき使われるだけ。
    黒沢映画を5本やっている。
    「どですかでん」のときはチーフ。
    岡本喜八さんの映画も交互にやっていた。
    東宝は娯楽映画がうまくやっていて、助手はこぞって海外ロケを希望した。
    ちゃらちゃらしたものをやっているより、黒沢組を希望した。
    強い理由はなかったけれど。
    やめようと10年間思っていた。
    突然、28歳のときに自分の一生は映画で行こうと決めた。
    ある日突然。
    今も現場でもそうなんだけど。
    いい意味で言えばひらめき。
    勘でいく。
    常識よりも勘を信じた。
    何遍もやめようと思ったけど、よく考えたらこれしか自分の人生はない
    と思ってしゃにむにやり始めた。
    1本は30代では無理と言われていたが突然抜てきされた。
    会社の上層部も見ていた。
    感覚的には優れたものがあると思われていた。
    33歳で一本。
    普通は映画のカメラマンは40歳すぎないとなれない時代だった。
    若いときからこうだった。
    生き方としてはぶれていない。
    自分の一番嫌いなのは裏切りとウソつき。

Y--若いときにフォーカスの達人と言われていらっしゃいましたね。
K--僕が生き残った大きな原因。
    ボクは監督に好まれた。

Y--その裏でものすごい努力をなさったと思いますが。
K--ボクは目測の名人。
    1mmも違わなかった。
    目で追って送っていく。
    普通は尺を測る。
    ボクは測らないでやっていた。

Y--どうやって訓練されたのですか。
K--ミッチェルというでかいカメラ。
    自分より後輩を連れていって覗かせる。
    もう一人を走らせて勝手に止まらせる。
    そこが何フィートであるかを当てるんだ。
    あるところまではピッタリ合っていた。
    それと、その時代はアングルファインダーで決めている。
    あれを絶対やるまいと思った。
    視野角度が何度と書いてある。
    分度器を町に持っていって、あそこを切り取ったら何・だとやってみる。
    それを分度器で測る。
    それをやみくもに訓練した。
    撮影を補助する器具を、全部何もつけないで現場に出ようと思った。
    台本も持たずに。よくうちで台本を勉強してくる。
    助手時代は台本を持つ必要もなかった。
    カメラマンになってから。
    相当な努力をしないと無理。
    恥ずかしいみっともないことになる。

Y--この点の記の中に「測量を行う者は、事故があってはならない」
    という言葉がありますが、
    今回の撮影中に事故があったという記事を拝見しました。
    それでいったんは撮影をやめようとお考えになられたとか。
K--無理をしなければこの映画はできない。
    北島康介が大阪大会で優勝した。
    足に肉離れを起こしていた。
    インタビュアーが肉離れを起こしてまでなぜ?と問いかけた時
    北島は「無理をしなければ金メダルは取れない」と言った。
    この言葉を映画に当てはめた。
    気をつけろよ。
    事故が起きたらこの映画は中止だと言って出発した。
    手術が成功したと言う電話が入った。
    「当人が一番残念がるに決まっている。
    最後まで妥協せずにやってほしい」という言葉があった。
    出演俳優に助けられた。

Y--われわれの分野でも、危険、死と隣り合わせの仕事をやっています。
    安全を心掛けても完全に排除することは不可能な状況下でやっています。
    そのときに大事なのは集中。
    心が一つになっていれば、
    多少のトラブルが発生しても、みんなで支えていくことができる。
    この撮影に当たって、トラブルでの反応がどうだったかを知りたかったのです。
K--撮影が始まったら、映画は監督一人のものではなく全員のもの。
    最後までやれということ。
    そういう意味では一つになっていたということ。
    自分自身の問題になっていた。
    監督の手を離れていた。
    お涙ちょうだいはダメ。
    自分たちのやった行いが、違う方向に行ってしまうのはやだ。
    今回一番感謝しなくてはいけないのは俳優。
    スタッフは好きでやっているんだから。
    ほかにいっぱい利のある仕事があるのに、長時間拘束されて映画に賭けてくれた。
    彼らも賭けたという意味で自分と同等。
    完遂できたという喜びに浸っている。
    浅野さんが富山でインタビューに答えて、
    「ほかの俳優がこの役をやったら憎いしくやしい」と。
    今、この役ができるのは自分しかいない。
    自分が勘で選んだから、そう言ってくれるとうれしい。
    自分の人生を含めて出発点としてしてくれたことはうれしい。
    経験できたということでうれしいと。
    この言葉を聞いてジーンとした。

Y--監督も勘で動くとおっしゃるが、私はそれは違うと思う。
    というのは長次郎は勘と言いながらも、経験というものが勘と言われている。
    監督も同じ。
K--そうやって言うと自慢になっている。
    徹夜で天気図も見ているんだから。
    天気図を読める。
    失敗もしているけど、失敗の率が下がっている。
    晴天の日に、今日の天気はアルプスは見えないと思ってた。
    次の日に撮ったのがあの富士山。
    自然に対しては経験がある。
    自分であみ出した独自の方法がある。
    知らない人に説明すると、そういうことばかり自慢している人に思われてしまう。
    監督は自信満々でやらなければいけない。
    木村大作は神になっていた。
    そういうところが出てくる。

Y--私どもは土木の関係なので、土木も地味な存在で暗い話題が多いですけど、
    監督から土木の世界を見て感じたこと何かありますか。
K--一番しんどい職業は何だろうか?
    一番は漁師。
    それも遠洋の漁師。
    24歳ぐらいのときに、まぐろはえなわの船に1か月乗った。
    そのときにこれは一番きついなと思った。
    魚を満杯にしないと帰れない。
    4か月ぐらいうろうろしている。
    そう意味で言うと、次は百姓。
    土木の世界は3番目にしんどい。
    撮影は楽しんでやっている。
    地方で温泉に入って。
    この剣岳 点の記は、しんどいという意味では映画の中でトップ。
    これ以上はエベレストしかない。

Y--その中でも柴崎芳太郎がそうであるように、リーダーシップ、
    監督がすべてを引っ張っていらっしゃる。
K--そうしないとだれもついてこない。
    人間は楽なほうに行く。
    自分がちょっとでも妥協したらみんなそっちに流れる。
    八甲田山で兵隊がみんな死んでしまったのは、
    雪の中だとちょっとでも楽なほうに行く。
    それで谷の沢に入り込んで200人も死んでしまった。
    雪山の鉄則は、しんどい尾根の方に出ること。
    そうすると自分の位置がわかる。
    剣沢から池ノ平は9時間かかる。
    2カット撮って帰ってくる。
    非常に効率が悪い。
    しかし、そこの自然をどうしても撮らないと、この映画は成立しないと考えた。
    山を知っている人に映画を見られると、あそこまで行っていないと見透かされてしまう。
    プロが見ても、「へえ~」と思わせる映像が撮りたかった。
    そこを妥協したら終わりだと思った。
    行くときは先頭。
    帰りはびり。
    行ってヘトヘトになっているから。
    1時間遅れぐらいで山小屋に着く。
    そういうときに考えられることがいっぱいある。
    いろいろなアイデアが出てくる。
    本当に疲れて休んでいることもあるけど。

Y--集中しているときはなにも考えが浮かばないけど、
    いったんスイッチを切るとポッと思いつくことがある。
K--感性の下地があった。
    「やっぱりあいつは」という評価につながった。

Y--初監督だったわけですが、1度限りですか。
K--八甲田に始まり、剣岳に終わると言っている。
    今でもそう思っている。
    できちゃうと欲が出てくる。
    それとの闘い。
    自分自身の中に葛藤がある。
    封切ったあとにうまく行ったら欲が出てくる。
    自分が言ったことであり、そういう人はほかにいないので美学だ。
    ただし、来年はギャラがないので、それでもろくも崩れ去る。
    自分がカメラマンに戻る姿が一番美しい。

Y--今回の作品はなかなかわかりにくい。
    50代以上にわかってもらえればいいとおっしゃっていらっしゃるが。
K--測量がわかりにくい。
    主人公の生き方はシンプルだし、ドラマとしては理解できると思っている。
    1年では覚えられない。
    人間の生き方としてびっくりしているのは、若い人でもわかっているという感じがある。
    今、この映画を見せてもらって本当に感謝している。
    黙々と生きているのがいいと若い人はみんな言う。
    今年4月から教師になる人が、
    「自分はどのように子供を教えていったらいいか悩んでいた。
    映画を見て光が見えた」と。
    最近はそういう映画がなくなっている。
    自らの人生を映画を見て決めるとか改めるというか。
    年寄もそう。
    夫婦で見に行く人が多い。
    奥さんの見方が違う。
    人それぞれの感想。
    違うところで感じるようである。
    自信が確信に変わってきた。
    見た女性の多くが、これは女性映画だと言う。
    すてきな男たちを見せていただいた。
    40歳代の人のインタビューを受けた。
    最初に感想を言わせてくださいと言う。
    画面とこんなに会話したことがありません。
    という感想を述べた女性がいた。
    この映画は禅です。
    こんなにどこで何をやっているかがわかる映画を初めて見ました。
    柴崎芳太郎が持っているものを
    ある時代に山登りをするのは貴族。
    そういう貴族の格好を貴族的なところが仲村トオルにある。
    定年前に反抗してやめたという感じを出したかった。
    品格がないとダメ。
    だから役所広司だと思った。
    過去に付き合いがあるかどうかで選んだものではない。
    キャスティングが良いとほめられた。
    キャスティングはアンサンブル。
    役者としての上手いか下手かはわからない。
    あなたの人生をそのまま役に表現してくれればいい。
    俳優の個性を容認した演出。
    大きなものになってしまった。

Y--本日はお忙しい中長時間にわたって色々とお話し頂いてありがとうございました。
    以上でインタビューを終わらせて頂きます。

こうして終わったインタビューは1時間45分ぐらいの時間を要していた。
この後少し雑談をした後、改めてお礼を述べて退出させて頂いた。

全く良くしゃべる監督さんであった。
このインタビューの後もまた別なインタビューが入っているというから驚く。
公式ブログなどを見ても、日にいくつものインタビューを受けていらっしゃる。
凄い監督さんであることを改めてインタビューを通して理解できた。
こんな経験は滅多にできるものではない!
思い切って志願した甲斐があったというものだ。

インタビューの会場を後にした我々は、エレベーターの前で立ち止まり、
ライターの方やキャメラマンさんなどを交えて少し談笑した。
その横を木村監督が颯爽と通り過ぎて行かれた。

我々はエレベータで1階に下り、東映本社の外で挨拶をした後別れた。
あ~ぁ終わった。
開放感に満ちあふれていた。

即座にインタビューの内容が頭によみがえってきた。
果たしてこれで記事になるのだろうか?
そんな思いも過ぎったが、後はライターの方の仕事だ。
当面お任せするとして、ヤマトには片づけなければならない問題が残っていた。
そう!
東映の方から頂いた依頼の内容に対する回答だ。
即座に土木学会へTELを入れたが、ご担当者は休暇であったため、
この日は止む無く帰路に就くこととした。

ここからがこのインタビュー紀行の第二幕となるとは、全く想像すらできなかった。

今回は以上です。
本来はこれで終わりとなるところですが、このインタビューはこの後の展開が難題でした。
但し、内容が繊細であるため割愛しながらの記述になりますことを予めお断り申し上げておきます。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

GW、ブログに時間を使っているのはヤマトぐらいなものですね。。。
他のブログでのお知り合いの方々は大半が更新をなさっていらっしゃいません。
勉強に家族サービス?にお忙しいのだろうと推察致します。

ヤマトはこのGWずっと自宅にて土木学会誌の特集企画を練っています。
それ以外していないと言っても過言ではありません。
何ともはや。。。

さて、この紀行もいよいよ佳境です。
早速始めます。

なお、木村監督:K,ヤマト:Yと表記することをご容赦願います。

その前に、ヤマトがインタビューというのは初めてであることを木村監督に告げると、木村監督は次のようにおっしゃいました。
「だったら僕が仕切ってあげようか♪」(笑)

Y--木村監督がこの度、「剣岳・点の記」という作品を選ばれた理由を教えてください。
K--絶対に日本映画では取り上げない作品だと思っていた。
    日本映画というのは、今、当たるか当たらないかを考えている。
    昔はいい映画を作ろうというのが主で、それが当たったとか当たらなかったとか言って
    いた。
    今は作る前から当たらなければゼロという価値観に支配されてしまっている。
    自分もそのなかで働いているわけだが。
    カメラマンとしての仕事の幅が狭くなってきた。
    年齢とか特異な性格で監督にいやがられる。
    映画の世界に残っていたいという気持ちもある。
    単行本の時代に読んだけど、こんなものはとてもごまかして撮るのならやりようはある
    けれど、大自然を相手にした映画を撮ることは無理だと思った。
    標高3,000mのところでやっている。
    八甲田山の場合だって標高700から800mのところで撮ったもの。
    辛さを自覚している。
    今時のCGでやるなら別だけど。
    撮影には適さない本だと思っていた。
    2006年1月に文庫化されたのを読んだ。
    ある企画が2005年の秋につぶれて、3年間暇になると思っていた。
    その時間を使って旅に出た。35mmのフィルムカメラを持って旅に出た。
    良い条件があったら回しておこうと思って。
    個人のフィルムライブラリーを持っている。
    そういうことの足しになるだろうと思って、日本海の冬の海を撮ろうと思って、
    2月に能登半島に10日間くらいいた。
    荒波を撮ろうと思っていたのに波が立たない。
    まあダメだと思って、風の吹くまま気の向くままにが自分の人生。
    東京に帰らなければしょうがないと判断した。
    途中でふと思って、富山を通るので剣岳を拝んで帰ろうと思った。
    富山県上市町の剣岳が良いので、麓からそれを撮ろうと思った。
    真っ赤な朝焼けのシルエットの剣岳を。
    えらい神々しかった。
    やっぱりいい山だなぁと思って、山を見ながら文庫本をもう1回読んでみた。
    これをやっぱり映画にしたいなぁと思った。
    そうすればあとの3年間ぐらい、そのことだけを考えていれば生きられるという思いも
    あった。
    仕事が来なかったら地獄だから。
    そういう生活を何年もやっている。
    これを考えていたら生活に張りが出る。
    それで東京に帰って考え出した。

Y--頂いたパンフレットの中にも出てているんですが、剣岳を見て文庫本を読もうと思った
    のは、何か監督の心の中に残るものがあったのでしょうか。
K--ボクは自然の中の人間の小ささというのをいつも思っている。
    自然というのは人間が壊さない限り、太古から未来までずっと続いていく。
    温暖化や環境の汚染で50年後はボロボロになっているかもしれないけれど。
    だいそれたことは思っていないが、そういう中でのドラマが大好き。
    黙々と仕事に献身している人たちのことを、原作の著者の新田さんはドキュメント式に
    日記式にして描いている。
    この原作を点の記のまま映画化したいと思った。
    描かれている人間たちの淡々とした日常を描きたいと。
    測量というのは上ってからが仕事で、見えなければ撤退しなければならない。
    撮影の世界も測量の世界と同じで、ダメだったら帰ってこなければならない。
    あっちは地図を作るためだけに、こちらは映画を作るためだけに。
    そういう意味では自分の人生と重ね合わせて考えられるなと。
    だったら、新田さんの原作を借りて、自分の精神的な思っていることを全部叩き込もう
    と思った。
    自分は今までいろいろなことを言っている。
    そのとおりに生きたいと思った。
    非常識に生きようとすると衝突が起きる。
    だから仕事の幅を狭くしている。
    自分の思っていることを全部叩き込もうと思った。
    本の内容をそのまま映画にしようと思った。
    省略していったら、手抜き。たんたんと撮らなきゃいけないと思った。
    日本映画界では、だれかが死ぬ、だれかが病気になる、だれか悪い奴を作る、
    そこでドラマができると勘違いしている。
    だから似通ったものになってしまう。
    そういう映画を見るとうんざりする。
    そういうことがいっさいにない、仕事に邁進しているだけが映画にならないかなぁ
    と思った。
    当初はそれがドラマにならないと言っている人がいた。
    今は「ドラマになった」とみんな言っているんだけど。
    東映もドラマにならないと言っていた。
    人間関係のどろどろした部分を入れたらと言っていたが、それは全部拒否した。
    自然がドラマを作るんだ。
    人間の美しさというものは、自然の厳しさに対抗するところで美しさが出るんだよと。
    もろもろのことがあって、自分の思いどおりの人生を撮ろうと思った。

Y--昨日、映画を拝見して思ったのは、原作本の中にもあるが、
    「何をなしたかではない、何のためになしたか」
K--これは高倉健さんもおっしゃっていて。
    たとえば「雨あがる」という黒沢明さんの映画のメインテーマ。
    黒沢さんは山本周五郎が大好きだから。
    その前に同じことを言っている人がいる。
    黒沢さんも映画は記憶だと言っている。
    ロバート・プラウニングが「人間の進化は、その人が死んだとき、
    その人が何をなしたかで決めるのではなく、彼が生きていたとき、
    なにをなそうとしたかである」
    という言葉があって、山本周五郎はここから採っている。
    それは非常にいいことだと思う。
    時代を経て、世界的な積み重ねの中から出てきた言葉だから。
    山本周五郎が取り上げ、黒沢がシナリオにした。
    「雨あがる」の監督である小泉堯史さんと監督補の野上照代さんは、
    映画のいいところでこの言葉を2回も使っている。
    手紙の形とたよに語りかけるところと。

Y--監督は「技術のことについて、余りとやかく考えていたことがない。
    それよりも大事なのは心。
    心を集中するということが大事なんだ」とおっしゃっておられますが……。
K--心がそういう条件になるまで、絶対にカメラをまわさないんだと。
    これがすばらしい条件になるまで待つんだと、心は精神的なもの。
    技術ではない。
    じっと待っているしかしょうがない。
    大自然を相手にしたら、人間は何もできないんだから。
    神のひとしずくのお情けをちょうだいして撮影するということだよ。

Y--私ども土木に関わるもの者も同じなんです。
    大自然を相手にというのではなく、大自然に生かしてもらいながら、
    物をちょっと作らせてもらっている。
    また、集中が大切だと監督はおっしゃいます。
K--それは人間が自然の一部だということ。
    この映画で動物がいっぱい出てくるけど、あれも自然の一部。
    人間もえらそうに言っているけど、人間はたかだか生きても100年。
    そういうちっぽけな人間たちが、なにをおぞましいことを考えているのかという話。
    そういう映画にしたいというのはある。
    集中というのは、何人かのスタッフの中で集中していない奴は排除していった。
    お互いが集中していないと、集中していない人が目立ってくる。
    自分たちまわりは気にならなくなる。
    仕事をやっていく上で非常に邪魔なものという考えがある。

Y--監督がおっしゃりたいと思ったことが2つあります。
    あちこちで拝見するが、日本の豊かな自然というものは壊れかかっている。
    50年先には見ることができないかもしれない。
    今、生で遺しておくということが、いかに大事かということと、
    先ほどから話していただいているように、自然のなかで、
    今回の測量というテーマを扱っていますが、
    人の目に触れないが、とても大切なことをやってきた人たちがいたんだよ
    ということを知ってもらう。
K--ただ地図を作るためだけにということ。
    ほかの職業でも同じ。
    映画もそう。
    八百屋でも野菜を売るためだけに生きている。
    それは日本国民の99%は同じ。
    あとの1%だけが悪いことをやっている。
    あとはみんな黙々とやっている。
    こんな日本経済の状態にしたのは、自分たちの責任はない。
    リストラされる人も、その人には責任はまったくない。
    あとの99%はこの映画に描かれている人たちと同じ。
    ただ職業が違うだけで。
    それを測量士の話として取り上げたのいうのは、
    この仕事が大自然を相手にしているから。
    そこにドラマが生まれる。
    それこそが映画だと思った。
    そういう感覚をずっと持っている。
    今年70歳になると、遺したいという気持ちはないが、訴えたいという気持ちがある。

Y--地味な測量というテーマだからこそ、
    今の映画界というのが本当にこれでいいのかというところが表れたように思いますが。
K--測量協会のために映画を撮っているわけではないから。
    測量協会が最近出てくるけど、それはちょっと違うぞと。
    確かに実体験を借りているけど、隠れたすばらしい仕事を借りているけど、
    それだけを言いたいわけではない。
    あの当時に地図を作るのが意外に過酷だということを、
    自分の足で山深く分け入って測量していたということは、頭が下がる思いがする。

Y--監督自らが柴崎芳太郎の感覚で映画全般を取り仕切られたという、
    地で行かれているなと。
K--原作にはない、いろいろな台詞を映画には取り入れている。
    それは自分が思い込んでいるところを台詞にしている。
    だれかが行かなければ道はできないというのがこの映画のテーマだと思うけど、
    これは魯迅が遺した格言
    「地上にはもともと道はない、多くの人が歩いたあとに道ができる」
    をそのまま台詞にすることはできないから、
    「だれかが行かなければ道はできない。だれかが登らなければ道はできんじゃ」
    と宇治長次郎に言わせている。
    それは自分の人生も柴崎の人生もそう。
    それは宇治長次郎の歩む道でもある。
    この映画に出てくるいろいろな人があるけど、いろいろな細かいことは、
    全部ある意味では自分自身であるということろがあって。
    それと最後に、自分が答えだと思った台詞なんだけど、
    「何物にもとらわれず、何事も恐れず、心のままに」
    という言葉を柴崎芳太郎の言葉としてラストシーンの雨の中で言わせるでしょ。
    あれは俳優の浅野忠信さんが色紙に・自由・と書くんですよ。
    浅野忠信という人は、人生を自由に行きたいと思っている人。
    ボクは自由という言葉が欲しい。
    2年間、ずっと山の中で、最後のシーンを撮る前に、
    浅野さんに「自由って何?」って聞いてみた。
    それに対して「自由は自由だと思うんですけど……」という答えで、
    「それはよくわかるんだけど、言葉にしてみたんだけど」って先ほどの言葉を示したら、
    浅野さんが「いいですね」と言ってくれた。そういうような作り方。

Y--あれは監督自らのメッセージだなというのが如実に示されていた。
K--「そこに山があったから」というマロリーの言葉は美しいけど、
    何の答えにもなっていない。
    2006年にロケハンに行っている。
    一人で3週間も行っていた。
    土地の人たちに「映画製作に協力してほしい」と言ったとき、
    だれもが「詐欺師が来た」と思っていた。
    3週間ひとりで従業員の泊まる部屋に泊まって、
    一人でとことこと出て行くことを毎日やっていると、相手の見方が変わる。
    山の上に登ってふうふう言って2時間ぐらい昼寝していた。
    撮影じゃないから楽な気持ち。
    上ってくる人に「なんでしんどい思いをして登るのかと200人に聞いた。
    みんなニコッとして微笑むだけ。
    これが答えだと思った。
    これが最後に作った言葉の自由につながる。
    この人は山に登ることで解放されるわけ。
    地上で嫌な思いをして、しんどい思いをして登ってくると解放感とか達成感が答えだ。
    あの映画が答え。
    その言葉を2年間かかってやっとひねり出した。
    今までいろいろなところから借りてきて。
    これは原作にはないわけ。
    原作権を持っている息子さんに「映画化したい」という手紙を書いた。
    それを息子さんが読んで、この人だったら、好意的な思いがあった。
    「木村さん、父の原作にこだわらなくてけっこうです」と言ってもらえた。
    僕は新田さんの精神性と藤原正彦さんの「国家の品格」の精神性、
    そして自分自身の精神性が全部合っているから、
    非常にすばらしい作品だと言ってくれている。

Y--軸はぶれていないと。
K--もっと具体的な言葉としては山本周五郎や魯迅だとすごい人ばかりだが、
    そのことに関して、藤原正彦さんは「それは困ります」とは言っていない。
    自分の言いたいことや精神性を叩き込もうと言うか。

Y--誰それさんの言葉とおっしゃっていますが、私はそれは違うのではないかと思う。
    というのも、同じ言葉であっても、背景にあるものは全部違うのではないかと。
    たまたま、発せられた言葉が同じかもしれませんが……。
    監督が同じ言葉を言っていても、
    黒沢監督が同じ言葉を使ってもまったく違うと思う。
    価値観その他は。
    でも、軸は同じ。
    寄り付いたところが違うから、価値観はまったく違う。
K--そう言ってもらえるとうれしい。
    映画監督なんかどっかからパクってきたのに、さも自分が作ったかのように言う。
    ルーカスもコッポラも「ほかからもらってきた」ということをハッキリ言う。
    そういうことが、黒沢さんの語る「映画の記憶」と言う意味。
    「記憶の中からしか映画はできない」とも言っている。
    天才的な黒沢さんですら、過去にインプットされたものが自分の映画中に出てくる。

Y--パクリというのは、基本的に形だけがそのままであって、
    背景に精神やベースになるポリシーを持っていないものがパクリであろうと思います。
K--元の表現よりも上回っていたら、それはオリジナリティといえる。
    日本人は猿真似と言われた民族だが、
    そこから始まってオリジナリティを世界に発信していった。

Y--それは今まで監督が生きてこられた、歩いてこられた部分を、
    全部凝縮されて発せられた言葉だから重みがある。
    意味も価値もあるんだと思う。
    同じ言葉であっても、他の人が発したものとはまったく違うもの。
    だから今回の映画が、単に測量というものを扱っているけれども、
    その裏側にある大きなものをちゃんと見逃すなよということをおっしゃっておられる。
K--世に言う一般の観客、その人たちは全部見抜いている。
    感想文や発言を聞いていると。
    人間がどうあるべきかということを。
    映画を見ている人のなかから、誇らしげに私は測量士ですと立ち上がる。
    今までそんな場はなかったんだろうね。
    家族にはぼろくそに言われているんだろうけど、家族や親戚を連れてこないと、
    その人の価値が伝わらないよと。

ここまでが凡そ半分程度です。
以降はまた後日に続きます。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

GWも終盤戦です。
皆さまいかがお過ごしでしょうか???
技術士試験等資格試験を控えていらっしゃる方々は、試験勉強と家族とのコミュニケーションの狭間に板挟みとなりトレードオフに苦慮なさっていらっしゃることでしょう。

時間をかければそれだけの成果が上がると言われます。
一方で、戦略無き戦いは、労多くして益無しとも言われます。
つまり、自らの資質に応じた戦略・戦術に従い、on/offを上手く使い分け、先のトレードオフ課題を両立させることが大切だと思います。
遊ぶ時は思いっきり遊び、勉強時間は必要且つ十分に確保する。
などと偉そうなことを書いているヤマト自身は、未だ新年度の国土交通白書を1頁も開いていません。
戦略・戦術も立てていません。
機が熟すのを待っている状態です。
いくら戦略・戦術を立てたとしても、自身がその気にならなければ時間の浪費以外の何ものでもありません。

ですから、このGWは土木学会誌の特集企画作成に充てたいと考えています。
これがなかなかに手強い。。。
「MOT」で考えていた特集企画がボツになり、今は「地方”新”時代」で考えている状況なのですが、コンテンツをどのようにするかということが未だ暗中模索状態です。
きっとこれが明確にならない限り、技術士の試験勉強には着手できないだろうと思っています。
今年度は完全に短期勝負のモードに突入という感じです。
なめるなよ!って言われそうですが、ヤマトのプライオリティではそうなってしまうのですから致し方ありません。

さて、前置きが随分と長くなってしまいました。
実はこれも戦略の一つなのですが。。。

いよいよ木村大作氏のインタビュー当日を迎え、東映㈱のご担当者と事前打合せのために面談となりました。
「おはようございます」
やはりこういう業界での挨拶は、午後なのに「おはようございます」なんだと、改めて実感しながら名刺交換を済ませ、インタビュー会場へとご案内を頂きました。
これまた迷路のような通路を経由して会場へ向かいます。
会場は会議室っぽい部屋でした。
いくつかの机がロの字状態に配置されていました。
同行して下さったキャメラマンの方が背景や光の当たり具合から木村大作氏の着席位置を決め、写真撮影方向の関係からインタビューワーであるヤマトの着席位置を決めて下さいました。
資料をひとまず着席位置付近に置き、東映㈱の方との事前打ち合わせが始まりました。

以下では東映㈱ご担当者をT氏、編集担当をN氏、ヤマトをYと表記致します。
T氏:土木学会誌への掲載時期が5月号ということですが、6月号へ変更にはならないでしょうか?
T氏:或いは、5月号と6月号で2ヶ月連載にはならないでしょうか?
T氏:映画『剱岳-点の記』は6月封切り予定になっている関係から、5月号ではタイミングが合わないのです。

Y :5月号は特集企画が「土木と市民をつなぐサイエンスコミュニケーション」となっていて、この企画と連動する形で『映画監督・木村大作氏』のインタビューを位置づけています。ですから今回のインタビュー記事を6月号へ移動することは難しいというのが正直なところです。また、2ヶ月連載についても学会誌編集における申し合わせとして1ヶ月で完結するというのを基本的な考え方にしていますから、これも対応は困難と言わざるを得ません。T様のおっしゃることも理解はできますが、土木学会にも事情があることをご考慮頂いて何卒ご理解をお願い致します。

T氏:そうですかぁ。。。やはり無理ですか!?我々もインタビューに協力する以上、広報と位置づけたいと考えていたものですから。しかし、無理であればやむを得ません。

(独り言)
やれやれ。。。
のっけからいったい何を言われるのやら!?
無事に納得して下さったから良いようなものですけど。。。少しドッキリでした。
(終)

T氏:ではお願いがあります。

(独り言)
えっ!まだあるの???
もう既にいっぱいお願い事を聞いたような。。。
(終)

T氏:インタビュー記事は見開き2頁と伺っています。この記事の中に映画のPR写真と出演者名のクレジットを小さくて構いませんから掲載していただくわけには参りませんか?

N氏:以前、インタビューをさせて頂くご本人以外の写真を掲載したことがありますから可能性はあると思います。

T氏:ではご検討を宜しくお願いします。

(独り言)
え~!安請け合いしちゃって良いのかなぁ???
編集委員会の三役に伺わなければマズイような気がするけど。。。
それにしても東映㈱のTさん流石だ!
インタビュー記事一つでも何とか営業へ結びつけようとする。
(終)

T氏:インタビューワーの方にお願いがあるのですが、インタビューを始める前に木村監督に昨日鑑賞して頂いた映画の感想を述べて頂けませんでしょうか?

Y :はい。それは構いませんが、その方が宜しければそうさせて頂きます。

(独り言)
えっ!感想を強要するの???
感想を言いたければ、自発的にそうするだろうけど、敢えてそう支持をしたことに何か裏があるのだろうか?
何だか少し違和感を感じた。
(終)

T氏:インタビューの時間は概ね3時頃までの予定です。
Y :そんなに頂けるのですか?

(独り言)
肝心なことを疎かにしていた。。。
最初聞いていたインタビュー時間は凡そ1時間少々だった。
その倍も質問事項を準備していないぞ。
マズイ!!!
あまりにインタビュー時間が短すぎると木村監督に失礼になってしまう。
どうしよう???
焦る。
(終)

一方的にT氏から様々な要望を伺ったため、頭の中を整理しつつ木村監督が入室されるまでの時間を待った。
そして、部屋の外で何やら声が聞こえてきた。
おそらく木村監督が来られたのだ。
そして、ドアが開く。
大柄な体だけど細身で、眼鏡をかけた眼光鋭い木村監督が部屋へ入ってこられた。
即座に私たちの方へ歩いて来られて、「ハイ、ハイ」と整理券でも配るようにご自身の名刺を渡して下さいました。
名刺には宣伝員任命書と記載されています。
しかも「宣伝員三大心得」まで書かれています。
これにはビックリです。
名刺の詳細は以下をご覧下さい。
http://www.tsurugidake.jp/blog/2009/01/post_36.html
ヤマトも名刺をお渡しするにはしましたが、ほとんどそれに目をやることなく「ここで良いの?」とおっしゃりながら指定された席に着席されました。
木村監督の着席された目の前の卓上には、灰皿と箱入りのアーモンドチョコレートとペットボトル入りのお茶が準備されていました。

ヤマトも着席しいよいよインタビュー開始です。
と、いよいよ佳境に入りますが、今回はここまでとさせて頂きます。
TV番組みたいで申し訳ありません。
次回へ続きます。

前置きの余談が長かったのは、本文が短くなるからです。
どうか悪しからず。
次回を乞うご期待♪

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

昨日から始めたタイトルの紀行ブログ。
はっきり申し上げてかすかな記憶だけを頼りに書いて参りますので、情報の不確かなところも多々発生することを何卒ご容赦下さい。

さて、いよいよ明日は上京という段階になってもなお原作本『剱岳-点の記』を読み終わることはできませんでした。
しかし、時は人を待つことはしませんから、当日必要となる資料をバッグに詰めると共に、読みかけの原作本もバッグに突っ込みました。
そして、2月9日新幹線で上京。
もちろん、その車中では原作本を読みふけっていました。
しかし、こういう時には眠くならなくても良いのに、
丁度京都を過ぎたぐらいのところだったでしょうか、1時間も読んでいると睡魔が襲ってきてしまいました。
映画の試写を鑑賞中に眠ってしまう訳にはいかないと考えて、ここは妥協することにしました。
そして、何かの拍子に目が覚めて、気がつくと新横浜ぐらいのところを新幹線は通過しているようでした。
目が覚めてから再び原作本とにらめっこ。
しかし、十分な時間は既に無く、アッという間に東京駅へ新幹線は滑り込んで行った。
あ~ぁ。。。
結局読み終わることができなかった。
東京駅にはおよそ12頃に到着しました。
早速乗り換えて有楽町駅まで行きました。
さぁ駅を出た後、どっちへ向かえばいいのか???
事前に準備した地図を頼りに歩きます。
確かこの辺りなんだけどなぁ。。。
目的の場所にはたどり着いたものの、東映本社ビルがどれなのか良く分かりません。
辺りをぐるぐる歩き回った結果、たぶんこれだろうと思うビルの前に立つことしばらく。
しかし、試写会が開催されるのは7Fとあるにも関わらず、概観からそのビルはどう見ても7回まで無い!
いったいどこなんだよ???
と独り言をブツブツと良いながら歩き回っているところへ、同席されるライターの方とキャメラマンの方が到着。
そして、この方に場所をお尋ねしたところまさに目の前のビルであった。
えぇ~!このビルに7Fがあるの???
そんな風に見えないけど。。。
人も建物も見かけによらないということか!?
少々ビックリしながら建物内に入る。
するといきなり警備員の方が近づいて来る。
なんだ!?なんだ!?
何もしていないよぉ!!
すると警備員の方は「どちらへ?」
東映本社のご担当者のお名前を出し説明した。
すると「どうぞ、こちらのエレベータで」と案内して下さった。
ほっ!
そして、7Fへ上がるが、まだ予定時間より早いので、エレベーター付近で時間をつぶす。
しばらく談笑の後、定刻となったためご担当者を訪ねて事務室内へ入る。
ところが、ご担当者の方は所用のため外出中で帰社時刻がかなり遅くなるとのこと。
おやおや。。。
そこで止む無く試写室へ案内して頂き、映画の鑑賞をさせて頂く。
試写室までの通路、迷路のようなところを通り抜けて行ったため、も一度一人で行けと言われてもウ~ムという感じでした。
この状態で地震や火事が発生したらどうなるのだろうか!?
少し怖くなったことを記憶している。

さて、試写室へ入る前には名刺を提出し、代わりに映画のパンフレットを頂く。
このパンフレットが実に分厚く、しかも内容が濃い!!
試写が始まるまでの時間にこれを概略眺めたが、これはインタビューでの質問事項に使えそうだと直感。
この日に泊まるホテルでまずはこれをじっくりと読み、そして質問事項を再考しよう。
こんなことを考えていると、やがて試写が始まった。

プロローグはいきなり度肝を抜かれるような映像でスタートした。
そして、この時は概ね原作本を半分程度読んでいた状態だったので、映画の最初は原作本との違いを対比しながら鑑賞する余裕があった。
しかし、途中からは全く未知の領域であったため、”ふぅ~む”という感じだった。
この”ふぅ~む”というのは、決して?が頭の中に浮かんだ訳ではありません。
いろいろと考える部分があったという意味であり、木村監督の考えや思想というものがあちこちにちりばめられた映画であることに対する感想です。
映画を通じて感じた人間・木村大作氏というのは、野武士のような骨太の信念を持つ方という印象でした。
これもやはり質問事項に付加しなければなりません。

映画の上映時間は2時間19分。
結構長い!!
映画自体につきましてはご覧いただいた方が良いでしょうから、ここでは割愛させて頂きます。
なお、『剱岳-点の記』の公式サイトは以下のとおりです。
http://www.tsurugidake.jp/

試写会が終わってもなお、ご担当者は帰社されていなかったため、打合せは明日のインタビュー前に行うこととしてライターやキャメラマンの方々とはビルの外に出た段階でお別れした。

さて、ヤマトはホテルに向かいました。
初めて泊まるホテルなので、電車を降りてからがまた一苦労です。
簡単すぎる地図を頼りに歩くこと10分程度。
あっ!あった。
今回は結構早く見つかった方です。
そして、部屋に入るとツインルーム。
ラッキー!!!
これならばゆっくりとできます。
バッグを開いて早速必要な資料を机の上に並べました。
まずは、試写会の時に頂いたパンフレットに目を通し、気のついた点を箇条書き。
そして、次に原作本の読み残しを懸命に読んでいきました。
凡そ5時間ぐらいはこうした時間に充てたでしょうか。。。
しかし、この辺りで睡魔が襲ってきました。
まして苦手な読書とあっては致し方ありません。
仕方なくベッドに潜ることにしました。

翌朝6時には目を覚まし、朝一番のコーヒーを飲んでから再び読書。
しかし、読み終わらない!
チェックアウトの時間が10時だったのでギリギリまで粘りましたが。。。
それでも終わらず止む無くチェックアウト。
そして、会場となる東映本社ビル付近で読書のできる場所を探して歩きました。
ところが、土地勘の無いヤマトにはこれが難敵です。
全く椅子というものが見当たりません。
デパートが近くにあったので中に入って探してみましたが、見当たりません!
少なくとも30分以上はウロウロしていたでしょう。
諦めかけた時に、やっと見つけました。
そして、再び読書!
お昼前までかかってやっと読書終了!!!
やれやれ。。。
しかし、原作本の要約をする暇もなくいきなりインタビュー本番となってしまいます。
この辺りが計画性など全くないヤマトのヤマトたる所以です。
良くこれで総監を取得できたものだと呆れます!

そして、会場である東映本社ビルの7Fへ上がりました。
今回は勝手が分かっていますからスイスイ♪
そして、7Fでライターの方やキャメラマンの方の到着を待ちました。
定刻より20分程度は早めに皆さんお見えになりました。
そこでまた談笑し時間をつぶした後、事務室内へ入っていきました。
インタビューに先立つ東映のご担当者の方との打合せを行うためです。
ところが、この段階では思わぬハプニングが起こることを知る由もありませんでした。

今回はここまでです。
また次回をご期待下さい。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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ヤマトです。

ついにヤマトのインタビュー記事『この人に聞く』が土木学会HPにも公開されました。
http://www.jsce.or.jp/journal/konohito/200905.pdf

さて、以前ブログに記載しましたとおり、このインタビュー記事が出来上がるまでの経緯を回顧してみたいと思います。

あれは2月2日のメールから始まります。
土木学会誌の編集委員会は総勢60にも及ぶ大所帯です。
このため作業分担にしたがったグルーピングが行われています。
そして、ヤマトは当時D班という特集記事を編集するグループに所属していました。

2月2日いつもながらの朝がスタートしていました。
そこへ1通のメールが送信されてきました。
D班ではこの時土木学会誌5月号の特集記事を編集している真っ最中でした。
この特集には『この人に聞く』を特集連動として位置づけていて、D班から「映画監督・木村大作氏」を推薦していました。
本来、『この人に聞く』はP班が担当する記事に位置づけられています。
ところが、対象となった「木村大作氏」はことのほかお忙しく、なかなかインタビューのスケジュール調整が整わなかったようです。
先に記述した2月2日のメールは、やっとインタビュー可能な日程が決まったことを知らせるものでした。
このメールにはもう一つ重要なことが記載されていて、インタビューを行う人は前日に開催される映画『剱岳-点の記』の試写会に必ず参加し鑑賞しなければならないことでした。
つまりインタビューに際しては2日がかりで臨まなければならないことを意味していました。
元々、編集委員は皆さんボランティアで参加されています。
大半の方は所属する組織でもある程度の地位にいらっしゃる方々ばかりです。
そうそう職場を空ける訳にはいかないのが実態です。
そして、先のメールには次のことも記載されていました。
P班では日程の都合上、対応可能なメンバーがいないため今回のインタビューはD班でお願いしたいということでした。
ところがD班のメンバーの反応も芳しいものではありませんでした。
D班のメンバーは総勢6名です。
そのうち首都圏付近に在住なさっていらっしゃるのは2名。
インタビュー場所が有楽町の東映本社であったため、理想的には首都圏在住の2名の方々にお願いをしたかったのですが、生憎スケジュールが合わず断念。
他のメンバーの方々も次々に対応不可能のメールがメーリングリストで送信されてきました。
そして、結局ヤマトだけが最後に態度を示さないまま残った形になってしまったのです。
幸いと申しますか、生憎と申しますか、インタビュー予定の日はかろうじて何も予定がなく空いていました。
そこでやむなくヤマトがこのインタビューをお引き受けすることになったということです。
長々と書き綴ってきましたが、「映画監督・木村大作氏」のインタビューをヤマトが対応することになった経緯を記しました。

インタビューの日時は2月10日13時から東映本社。
その前日の同じ時間から同じ東映本社で『剱岳-点の記』の試写会。

決まった以上は粗末な記事を作ることはできません。
そこで戦略を練りました。
インタビュー記事を作成するには次のことを調べる必要があると考えました。
①人間・木村大作氏とはどのような方か。
②映画『剱岳-点の記』の原作はどのような内容なのか。
③『この人に聞く』と特集『土木と市民をつなぐサイエンスコミュニケーション』の接点をどこに置くか。

こうした点に配慮してまず開始したのがネット検索です。
「映画監督 木村大作」というキーワードでヒットしたものを片っ端から閲覧していきました。
その中で、皆さまもご承知のTV番組『情熱大陸』に木村大作氏がご登場なさったという記事を見つけました。
そして、これにはリンクがあってその映像を見ることができたのです。
番組の構成はまさに『剱岳-点の記』の撮影状況をベースにしたものでした。
これを見て人間・木村大作氏のスタンスがある程度理解できました。
また、他の情報の中にもインタビュー記事が結構な量存在し、人間・木村大作氏を理解するのに役立ちました。
概ねこうした作業を経て、人間・木村大作氏の骨格がヤマトの中に形成されました。
ここで感じたこと、それは大それた言い方かもしれませんが、木村大作氏とヤマトには共通的な感覚があることでした。
大きな流れに与せず、独自の感覚と信念で生きている点です。
もちろんヤマトが木村大作氏と同列だなどとは決して思っておりませんし、まだまだ未熟な者であるからこそさらに高見を求めていく必要があることは重々承知していますが、根底に根ざす部分が同じかなぁ???
という感覚を持つことができたのはチョッピリ嬉しい発見でした。
そして、これによりインタビューが楽しみになったことも否定できませんでした。
しかし、木村大作氏は褒章受章者。
したがって失礼があってはなりませんから、この部分では少々気の引き締まる思いをしました。

次に、近くの図書館へ行き、新田次郎氏原作の「剱岳-点の記」を借りました。
しかし、元来読書嫌いのヤマトのこと。。。
借りた段階で何となく終わった感じがして、しばらく放置。
しばらくと言ってもインタビューまでの時間はそれほど多くは残されていませんから2~3日だけですけど。。。
しかし、そのため上京するまでに原作を読み終えることができませんでした。

『この人に聞く』で木村大作氏に伺うインタビュー内容とと特集『土木と市民をつなぐサイエンスコミュニケーション』の接点については、D班のメンバーからもご意見を頂いたため、これをベースにしながらヤマトが調べた人間・木村大作氏の魅力について読者の方々にお伝えできるような質問を考えました。

刻々とXデーが近づいて来るにしたがって緊張感を感じるようになりました。
果たして上手くインタビューができるのか!?
映画会社の内部なんて入ったこともないし。。。
どんなところなんだろうか???
考えただけで、とんでもない場を頂いたものだと思いました。

続きはまた後日に。。。

では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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