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■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
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ヤマトです。
GWも今日までという方が大半だと思いますが、まだ途中だよとおっしゃる方は羨ましいと感じる反面、これ以上休んでしまってはどうも再起動する時には完全にぼけてしまっているような気がしてなりません。
もっとも今年のGWはどこにも行かず土木学会誌の特集企画に集中していましたから休んだというイメージはヤマトにはあまりありませんけど。。。
さて、木村監督のインタビュー後半です。
昨日に引き続き木村監督:K、ヤマト:Yで表記致します。
Y--土木は地味であって閉鎖的なんです。
現場で汗水たらしてやっているが、それが伝わっていない。
われわれが説明していない。
K--しかし、土木の仕事は説明しにくいだろう。
見たら感動するけど。
見させなければならない。
その難しさを感じている。
黙々と仕事に献身しているという言い方がいちばんピッタリなんだけど。
なかなか理解できない。
それが難しい。
Y--たとえば道路も河川も、そうであるのが当たり前になっている。
それが壊れて使えなくなってしまって初めてなにやっているんだよとなる。
われわれの仕事は下支えの仕事。
光と影、影があるから光るんだよ。
いろいろな光の種類を当てなければ、本当のいい光というものは当てるのは難しい。
と監督はおっしゃっていたと思います。
われわれは影の部分だと思う。
ならば徹底的に影に徹してみよう。
そう思うのです。
K--黒沢もヒーローを求めるわけではなく、簡単に利が求められる時代だったけど、
もくもくと働くしかしょうがない。
誰かに認められようとしても、確実に相手にも伝わらない。
そういうのは認めない。
黙々とやって、だれがどうでもいいやとなると、認める人が出てくる。
問題児だからいろいろともめるけど、そういうときに僕を助けてくれた人がいる。
出会いが人生だと思っている。
運というものが知る。
運をうまくつかんだ。
そういうことがないと今はない。
認めてもらおうと思ったら常識をやる。
違う人生をやることができたが、
心のままに風に吹かれて気の向くままに……それも全部自分。
Y--監督はこの業界に入られるときに、11社受けて東宝に入ることが決まったと。
K--4月に入社して5月に黒沢組にいた。
人が足らなかった。
本数もたくさん作っていた。
見習い期間もない。
奴隷として現場に行かされた。
Y--そのとき入社が決まって、何か他に目指すものがあればやめられたんだと
思いますが、ずっとこの道を歩んでいらっしゃる。
K--もちろん、やめようと思った。
しんどいんだから。
就職として東宝に入った。
カメラマンがやりたくて入ったわけではない。
たまたま人が足りなかったから。
まわされたのは撮影助手。それが運。
Y--そこで何か面白みが見つかったのでしょうか?
K--最初はこき使われるだけ。
黒沢映画を5本やっている。
「どですかでん」のときはチーフ。
岡本喜八さんの映画も交互にやっていた。
東宝は娯楽映画がうまくやっていて、助手はこぞって海外ロケを希望した。
ちゃらちゃらしたものをやっているより、黒沢組を希望した。
強い理由はなかったけれど。
やめようと10年間思っていた。
突然、28歳のときに自分の一生は映画で行こうと決めた。
ある日突然。
今も現場でもそうなんだけど。
いい意味で言えばひらめき。
勘でいく。
常識よりも勘を信じた。
何遍もやめようと思ったけど、よく考えたらこれしか自分の人生はない
と思ってしゃにむにやり始めた。
1本は30代では無理と言われていたが突然抜てきされた。
会社の上層部も見ていた。
感覚的には優れたものがあると思われていた。
33歳で一本。
普通は映画のカメラマンは40歳すぎないとなれない時代だった。
若いときからこうだった。
生き方としてはぶれていない。
自分の一番嫌いなのは裏切りとウソつき。
Y--若いときにフォーカスの達人と言われていらっしゃいましたね。
K--僕が生き残った大きな原因。
ボクは監督に好まれた。
Y--その裏でものすごい努力をなさったと思いますが。
K--ボクは目測の名人。
1mmも違わなかった。
目で追って送っていく。
普通は尺を測る。
ボクは測らないでやっていた。
Y--どうやって訓練されたのですか。
K--ミッチェルというでかいカメラ。
自分より後輩を連れていって覗かせる。
もう一人を走らせて勝手に止まらせる。
そこが何フィートであるかを当てるんだ。
あるところまではピッタリ合っていた。
それと、その時代はアングルファインダーで決めている。
あれを絶対やるまいと思った。
視野角度が何度と書いてある。
分度器を町に持っていって、あそこを切り取ったら何・だとやってみる。
それを分度器で測る。
それをやみくもに訓練した。
撮影を補助する器具を、全部何もつけないで現場に出ようと思った。
台本も持たずに。よくうちで台本を勉強してくる。
助手時代は台本を持つ必要もなかった。
カメラマンになってから。
相当な努力をしないと無理。
恥ずかしいみっともないことになる。
Y--この点の記の中に「測量を行う者は、事故があってはならない」
という言葉がありますが、
今回の撮影中に事故があったという記事を拝見しました。
それでいったんは撮影をやめようとお考えになられたとか。
K--無理をしなければこの映画はできない。
北島康介が大阪大会で優勝した。
足に肉離れを起こしていた。
インタビュアーが肉離れを起こしてまでなぜ?と問いかけた時
北島は「無理をしなければ金メダルは取れない」と言った。
この言葉を映画に当てはめた。
気をつけろよ。
事故が起きたらこの映画は中止だと言って出発した。
手術が成功したと言う電話が入った。
「当人が一番残念がるに決まっている。
最後まで妥協せずにやってほしい」という言葉があった。
出演俳優に助けられた。
Y--われわれの分野でも、危険、死と隣り合わせの仕事をやっています。
安全を心掛けても完全に排除することは不可能な状況下でやっています。
そのときに大事なのは集中。
心が一つになっていれば、
多少のトラブルが発生しても、みんなで支えていくことができる。
この撮影に当たって、トラブルでの反応がどうだったかを知りたかったのです。
K--撮影が始まったら、映画は監督一人のものではなく全員のもの。
最後までやれということ。
そういう意味では一つになっていたということ。
自分自身の問題になっていた。
監督の手を離れていた。
お涙ちょうだいはダメ。
自分たちのやった行いが、違う方向に行ってしまうのはやだ。
今回一番感謝しなくてはいけないのは俳優。
スタッフは好きでやっているんだから。
ほかにいっぱい利のある仕事があるのに、長時間拘束されて映画に賭けてくれた。
彼らも賭けたという意味で自分と同等。
完遂できたという喜びに浸っている。
浅野さんが富山でインタビューに答えて、
「ほかの俳優がこの役をやったら憎いしくやしい」と。
今、この役ができるのは自分しかいない。
自分が勘で選んだから、そう言ってくれるとうれしい。
自分の人生を含めて出発点としてしてくれたことはうれしい。
経験できたということでうれしいと。
この言葉を聞いてジーンとした。
Y--監督も勘で動くとおっしゃるが、私はそれは違うと思う。
というのは長次郎は勘と言いながらも、経験というものが勘と言われている。
監督も同じ。
K--そうやって言うと自慢になっている。
徹夜で天気図も見ているんだから。
天気図を読める。
失敗もしているけど、失敗の率が下がっている。
晴天の日に、今日の天気はアルプスは見えないと思ってた。
次の日に撮ったのがあの富士山。
自然に対しては経験がある。
自分であみ出した独自の方法がある。
知らない人に説明すると、そういうことばかり自慢している人に思われてしまう。
監督は自信満々でやらなければいけない。
木村大作は神になっていた。
そういうところが出てくる。
Y--私どもは土木の関係なので、土木も地味な存在で暗い話題が多いですけど、
監督から土木の世界を見て感じたこと何かありますか。
K--一番しんどい職業は何だろうか?
一番は漁師。
それも遠洋の漁師。
24歳ぐらいのときに、まぐろはえなわの船に1か月乗った。
そのときにこれは一番きついなと思った。
魚を満杯にしないと帰れない。
4か月ぐらいうろうろしている。
そう意味で言うと、次は百姓。
土木の世界は3番目にしんどい。
撮影は楽しんでやっている。
地方で温泉に入って。
この剣岳 点の記は、しんどいという意味では映画の中でトップ。
これ以上はエベレストしかない。
Y--その中でも柴崎芳太郎がそうであるように、リーダーシップ、
監督がすべてを引っ張っていらっしゃる。
K--そうしないとだれもついてこない。
人間は楽なほうに行く。
自分がちょっとでも妥協したらみんなそっちに流れる。
八甲田山で兵隊がみんな死んでしまったのは、
雪の中だとちょっとでも楽なほうに行く。
それで谷の沢に入り込んで200人も死んでしまった。
雪山の鉄則は、しんどい尾根の方に出ること。
そうすると自分の位置がわかる。
剣沢から池ノ平は9時間かかる。
2カット撮って帰ってくる。
非常に効率が悪い。
しかし、そこの自然をどうしても撮らないと、この映画は成立しないと考えた。
山を知っている人に映画を見られると、あそこまで行っていないと見透かされてしまう。
プロが見ても、「へえ~」と思わせる映像が撮りたかった。
そこを妥協したら終わりだと思った。
行くときは先頭。
帰りはびり。
行ってヘトヘトになっているから。
1時間遅れぐらいで山小屋に着く。
そういうときに考えられることがいっぱいある。
いろいろなアイデアが出てくる。
本当に疲れて休んでいることもあるけど。
Y--集中しているときはなにも考えが浮かばないけど、
いったんスイッチを切るとポッと思いつくことがある。
K--感性の下地があった。
「やっぱりあいつは」という評価につながった。
Y--初監督だったわけですが、1度限りですか。
K--八甲田に始まり、剣岳に終わると言っている。
今でもそう思っている。
できちゃうと欲が出てくる。
それとの闘い。
自分自身の中に葛藤がある。
封切ったあとにうまく行ったら欲が出てくる。
自分が言ったことであり、そういう人はほかにいないので美学だ。
ただし、来年はギャラがないので、それでもろくも崩れ去る。
自分がカメラマンに戻る姿が一番美しい。
Y--今回の作品はなかなかわかりにくい。
50代以上にわかってもらえればいいとおっしゃっていらっしゃるが。
K--測量がわかりにくい。
主人公の生き方はシンプルだし、ドラマとしては理解できると思っている。
1年では覚えられない。
人間の生き方としてびっくりしているのは、若い人でもわかっているという感じがある。
今、この映画を見せてもらって本当に感謝している。
黙々と生きているのがいいと若い人はみんな言う。
今年4月から教師になる人が、
「自分はどのように子供を教えていったらいいか悩んでいた。
映画を見て光が見えた」と。
最近はそういう映画がなくなっている。
自らの人生を映画を見て決めるとか改めるというか。
年寄もそう。
夫婦で見に行く人が多い。
奥さんの見方が違う。
人それぞれの感想。
違うところで感じるようである。
自信が確信に変わってきた。
見た女性の多くが、これは女性映画だと言う。
すてきな男たちを見せていただいた。
40歳代の人のインタビューを受けた。
最初に感想を言わせてくださいと言う。
画面とこんなに会話したことがありません。
という感想を述べた女性がいた。
この映画は禅です。
こんなにどこで何をやっているかがわかる映画を初めて見ました。
柴崎芳太郎が持っているものを
ある時代に山登りをするのは貴族。
そういう貴族の格好を貴族的なところが仲村トオルにある。
定年前に反抗してやめたという感じを出したかった。
品格がないとダメ。
だから役所広司だと思った。
過去に付き合いがあるかどうかで選んだものではない。
キャスティングが良いとほめられた。
キャスティングはアンサンブル。
役者としての上手いか下手かはわからない。
あなたの人生をそのまま役に表現してくれればいい。
俳優の個性を容認した演出。
大きなものになってしまった。
Y--本日はお忙しい中長時間にわたって色々とお話し頂いてありがとうございました。
以上でインタビューを終わらせて頂きます。
こうして終わったインタビューは1時間45分ぐらいの時間を要していた。
この後少し雑談をした後、改めてお礼を述べて退出させて頂いた。
全く良くしゃべる監督さんであった。
このインタビューの後もまた別なインタビューが入っているというから驚く。
公式ブログなどを見ても、日にいくつものインタビューを受けていらっしゃる。
凄い監督さんであることを改めてインタビューを通して理解できた。
こんな経験は滅多にできるものではない!
思い切って志願した甲斐があったというものだ。
インタビューの会場を後にした我々は、エレベーターの前で立ち止まり、
ライターの方やキャメラマンさんなどを交えて少し談笑した。
その横を木村監督が颯爽と通り過ぎて行かれた。
我々はエレベータで1階に下り、東映本社の外で挨拶をした後別れた。
あ~ぁ終わった。
開放感に満ちあふれていた。
即座にインタビューの内容が頭によみがえってきた。
果たしてこれで記事になるのだろうか?
そんな思いも過ぎったが、後はライターの方の仕事だ。
当面お任せするとして、ヤマトには片づけなければならない問題が残っていた。
そう!
東映の方から頂いた依頼の内容に対する回答だ。
即座に土木学会へTELを入れたが、ご担当者は休暇であったため、
この日は止む無く帰路に就くこととした。
ここからがこのインタビュー紀行の第二幕となるとは、全く想像すらできなかった。
今回は以上です。
本来はこれで終わりとなるところですが、このインタビューはこの後の展開が難題でした。
但し、内容が繊細であるため割愛しながらの記述になりますことを予めお断り申し上げておきます。
では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
第1部が完という感じでしょうか。
この読み応えのあるインタビューが、紙面上では、見開きp2ということ、ライターさんはスゴ腕ですね。
毎回、記事の内容とヤマト様の作文力には、正直感嘆しております。
引き続き第2部を楽しみにしています。(諸般の事情は、以前の記事で十分承知しております。)
インタビューに要した時間を考えれば、これはまだ一部にしか過ぎません。
つまりまだ割愛した部分が実はあるのです。
が、80:20の法則に従い整理させて頂きました。
これだけの内容からご指摘の見開き2Pをどのように抽出するのか、ある意味ヤマト自身も楽しみにしていました。
しかし、ヤマトの採点では50点です。
少々残念な結果になってしまいました。
ところで、作文力とはハテナ?です。
あるがままを書いたまでで脚色など一切行っておりませんので、どこに力量が認められるのか自身では全く不明です(^_^ゞ
さて、第二部ですが、実は全く原稿を作成しておりません(>_<)
したがって、少々ご覧頂くまでに時間を要することとなりますので、予めお断り申し上げす。
拙い紀行文にも関わらずお読み頂き、コメントまで頂戴できましたことを作者と致しまして感謝申し上げます。
また、機会がございましたら、是非お立ち寄り下さい。
心よりお待ち致しております。
1日2回の書き込み、お許しください。
実は、私もこれほどの内容(いや実際は、この数倍の内容)が2Pとは、さびしく思っておりました。
題材も土木に関する事項なのに・・・。
以前、バックナンバーを読んだ時は、4Pの場合や2回に渡った記事もあったように思っており、今回もと、思っておりました。
諸般の事情はあると思いますが、大村大作監督の「劔岳 点の記」は、国土交通省の広報誌「国土交通」にも紹介されていたと、思いますのでその点でも残念です。
私が思うヤマト様の作文力は(勝手な思い込みですが)、まず、あるがままを書かれるにあたっても、これだけ長い記事を書かれるということが、すでに力量(構成力・持久力・忍耐力)があると思います。
また、長いのにかかわらず楽しく読めるという点です。
上記については、あくまでも私の主観です。(私には、とてもヤマト様のような文章は書けません。)
最後は、蛇足のような文章になりましたが、第2部再開を楽しく待っています。
今後ともよろしくお願いします。
重ね重ねコメントを頂き恐縮でございます。
ライターの方は土木とは無縁の方故致し方ないところです。
また、編集委員会の方針として、インタビュー内容が豊富で多岐に亘ることは承知しているが、その中からエッセンスを抽出し2Pに収めること、複数回に跨らないことが約束事となっています。
それにしては今回のまとめ方には、少々不服を申し立てたい気持ちであることには変わりありませんが。。。
まちづくりさんと同様に残念な感想を持ちましたので、ブログにて公開しようと考えた次第です。
ただ、これで問題が発生しなければ良いのですが。。。
また、ヤマトに構成力があるとは到底思えませんので、強いてあるとするならば書こうとする意思だけでしょうか?
せいぜいヤマトの能力はその程度のものです。
まちづくりさんを初め、このブログをお読み下さる方々のスキルの方が余程上だとヤマトは感じています。
わざわざお越しの上、貴重なご意見を頂きありがとうございます。
また、機会がございましたらお立ち寄り下さい。
お待ち申し上げております。