10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ヤマトです。
サッカーねたではありますが、ちょっといい話です。
皆さまは大空 翼をご存じでしょうか?
そうです。
サッカーアニメの「キャプテン翼」の主人公です。
これが政情不安に揺れるイラクで大活躍しているというお話です。
仕掛け人は、2005年外務省サマワ連絡事務所に勤務していた江端康行氏。
当時のサマワは無表情でざらついた町」でした。
下水やゴミは悪臭を放ち、住民の多くは緑色に汚れたユーフラテス川の水に依存していました。
そこはスンニ派主導のフセイン政権に見捨てられたシーア派の町でした。
直前まで外務省中・東欧課に勤務していた江端さんにとって、サマワの生活は経験したことのない過酷なものでした。
夏は50度以上、直射日光下では60度を超え、寝泊まりする陸上自衛隊宿営地は夜間、迫撃砲やロケット砲で攻撃されました。
空気を切り裂く飛翔音や爆発の衝撃に慣れるのは容易ではなかったと言います。
疲労困憊した江端氏を元気づけ、勇気づけたのは、「ヤーバーニー(日本人)、シュクラン(ありがとう)」と、日本の車に笑顔で手を振る子供たちでした。
「この子供たちがわくわくするようなことをできないか」。
目に焼き付いたのは、炎天下の砂漠でサッカーボールを黙々とけっている子供たちの姿でした。
そこで発想したのが
給水車に子供たちがあこがれる「キャプテン翼」を乗せたらどうだ。
でした。
「キャプテン翼」をシールにして給水車に張りたいので許可をいただきたい。
2004年7月、外務省サマワ連絡事務所の江端氏に要請された東京の出版社「集英社」は困惑していました。
「翼」の肖像権は、作者の高橋陽一氏や、連載していた雑誌「少年ジャンプ」を発行している集英社にありました。
これらの許可なしでは使用できません。
しかし、そもそも「翼」をイラクで放送、出版する許可は出していませんでした。
つまりイラクで放送された「キャプテン・マージド」は海賊版だったのです。
完全なる著作権違反です。
因みに、マージドとは、「砂漠のペレ」と呼ばれたサウジアラビアの伝説のプレーヤー、マージド・アブドウラー選手のことで、イラクの子供達の憧れの的でした。
社内からは「翼」シールを認めることは、海賊版を肯定し、自分たちの存在意義を否定しかねないとの意見が出ていました。
ところが、著者の高橋氏は
「イラクの子供たちとサッカーを通じた交流を育てるのに翼が役に立つのであれば協力します」
と回答なさったそうです。
これを受けて、集英社は「国内でも賛否が議論になっている自衛隊派遣と翼を結び付けて報道され、政治宣伝に利用されるリスクがある」との慎重論のある中、今回限りの特例許可を下します。
第1ハードルクリアの瞬間です。
しかし、これだけで問題が解決した訳ではありませんでした。
次なるハードルはシールでした。
縦2メートル、横6メートルの20トン給水車に貼るシールは相当の大きさでなければ役に立ちません。
これに加えて劣悪な気象環境に耐えうるものでなければなりませんでした。
このため、シール製作を依頼した多くの会社に断られてしまったようです。
江端氏は大日本印刷を訪れ、こう言ったのだそうです。
「私はもうすぐロケット弾が飛び交うイラクの砂漠に戻る。そこの子供たちを元気づけるのがキャプテン翼です。簡単にはがれないシールを作り、日本の技術力をみせてください。これは日本の顔になります」
大日本印刷はこれに応じて最高級のシールを製作されたそうです。
そして、その担当をされた方に江端氏はおっしゃったそうです。
「皆さんは戦友ですよ」と。
これはサマワで共に働く陸上自衛隊初代イラク復興業務支援隊長の佐藤正久1佐が江端氏に対してかつてかけた言葉でした。
「翼」のシールを貼った給水車26台すべてが4年後の今でも1枚もはがれることなく現地を走り回っているのだそうです。
江端氏がなぜここまで頑張れたのか?
江端氏がイラクに赴任する約半年前、奥克彦大使と共にイラクで殺害された井上正盛1等書記官が遺族に当てた手紙や、留学先のハーバード大学時代に級友から受けた日本のPKO活動に対する非難が、江端氏に大きな影響を与えたようです。
どれほど優れたアイデアも、人と人の連携無くして成功はありません。
また、人と人の連携に技術論が大きく係わることは確かですが、それ以上に大切な心のキャッチボール。
これが成否を分けると言っても過言ではありません。
今回のお話が手放しで、良かったと言えるものでないことは皆さまご推察のとおりです。
しかし、完璧なプロジェクトなど無いと言え、動いて、そして考えるというスタンスで十分なのではないでしょうか?
もっとも悪いのは、考えても動かないことだと思います。
そして、さらに他人が動いた結果に対して、自らの判断はこうだったと他人の成果を事後攻撃する人です。
失敗を恐れず、さらに失敗を自らのステップアップに利用できるのが技術士だとヤマトは考えています。
だから失敗は楽しい♪
今日も失敗できるチャンスを探しています。
では今日もBreakThroughを目指しましょう♪