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HN:
ヤマト(^_^)v
HP:
性別:
男性
趣味:
サッカー日本代表の応援
自己紹介:
■技術士(総合技術監理部門)
■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
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ヤマトです。
ADHD これは注意欠陥・多動性障害と言われ多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害だそうです。
集中困難・過活動・不注意などの症状が通常7歳までに確認されるそうですが、過活動が顕著でない不注意優勢型の場合、幼少期には周囲が気付かない場合も多いそうです。
年齢が上がるにつれて見かけ上の「多動」は減少するため、かつては子供だけの症状であり、成人になるにしたがって改善されると考えられていたそうですが、近年は大人になっても残る可能性があると理解されています。
遺伝的な形質であるため症状は育て方や本人の努力で完治することはないとも言われています。
北京五輪で8個もの金メダルを獲得したマイケル・フェルプスが実はこのADHDだったことはよく知られています。
小学5年生の時に診断されたそうですが、母親が息子をかばい、そして彼の才能を信じたそうです。
もちろん優れたコーチが彼を導いた面は否定できません。
しかし、彼の母の愛が無ければ、我々は歴史の目撃者になることはありませんでした。
先日発生した福岡市での小学1年生男児殺害事件。
結局母親の殺害という結末でした。
この男児もまたADHDであったようです。
母の愛があれば、もしかすると将来立派な結果を残す人材だったかもしれません。
真相は未だ不明ですが、この母は支えきれなかったようです。
但し、我々はこの結果に対する原因を、この母親だけに限定して考えてははならないと思います。
むしろ普遍化して考える必要があると思うのです。
つまり、いつでもどこでも誰でもこうした母親になる危険性があると考える必要があるのではないかと思います。
なぜそう思うかと申しますと、ADHDへの対応について日本と欧米を比較すると理解しやすいと思います。
○診察
[日本]児童を精神科医や心理学者に診察してもらい、何らかの精神的な問題を抱えて
いないかをスクリーニングしてもらうことがタブーであり、もってのほかという風潮
が根強い。
[欧米]学校に精神科医や心理カウンセラーを配置して児童を診察し、少しでも異常の兆
候があれば問題を隠すのではなくすぐに医師に相談すべきだと教師・親・子供を
啓蒙するサポート体制がある。
また、日本の医療現場において、成人のADHDに対する理解が全般的に浅く、精神科医ですら「ADHDは子供に出る症状」と誤解している医師が多く、診察に訪れた成人ADHD患者が十分な治療を受けられず、場合によっては門前払いになるケースも多く存在するといわれています。
このように普通と違う存在に対して、我々は幅広く社会として許容してきたかという点について考えなければならないと思うのです。
家族という形態が小さな規模になってしまった今日、大家族形態であった昔には起こりえなかった問題が表面化してきていると考えられないでしょうか?
昔は多くの家族が守り育んだ命も、今はそれを支える家庭に許容力が無くなっていると。
コミュニティの崩壊も物理的な影響もさることながら、そうした許容力の低下が引き起こしているように思えてなりません。
病を抱えるということは正常な状態から逸脱すること。
確かにそういう一面があることは否定できませんし、ある意味正しい理解と言えるでしょう。
だから正常な状態へ復元するのです。
でも、それが復元不可能な病であれば、発症した時点から生涯その病とうまく付き合っていくほか方法がないことも事実です。
つまり、それは個性と認識するほか無いと思うのです。
障害者のオリンピックには心身のいずれかに何らかの異常を抱える方々が出場し、普段の競技能力を競い合います。
勝って嬉しそうな表情や、負けて悔しそうな表情からは想像もつかないような心身の障害があってもです。
パラリンピックは障害者に生き甲斐を提供しているはずです。
このように病を含むあらゆる障害を個性として受け入れることのできる社会。
これが”豊かさ”を示す一つの側面ではないかと思うのですが、皆さまはどのようにお感じになられるでしょうか?
それが受け入れられない社会もまたその個性だという理解はできると思いますが、少し寂しい社会だとは思われませんか。
さて、明日はいよいよ組織横断プロジェクトの最終報告本番です。
未だ報告内容の整理が完成していません。
さぁどうする!?
では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
ADHD これは注意欠陥・多動性障害と言われ多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害だそうです。
集中困難・過活動・不注意などの症状が通常7歳までに確認されるそうですが、過活動が顕著でない不注意優勢型の場合、幼少期には周囲が気付かない場合も多いそうです。
年齢が上がるにつれて見かけ上の「多動」は減少するため、かつては子供だけの症状であり、成人になるにしたがって改善されると考えられていたそうですが、近年は大人になっても残る可能性があると理解されています。
遺伝的な形質であるため症状は育て方や本人の努力で完治することはないとも言われています。
北京五輪で8個もの金メダルを獲得したマイケル・フェルプスが実はこのADHDだったことはよく知られています。
小学5年生の時に診断されたそうですが、母親が息子をかばい、そして彼の才能を信じたそうです。
もちろん優れたコーチが彼を導いた面は否定できません。
しかし、彼の母の愛が無ければ、我々は歴史の目撃者になることはありませんでした。
先日発生した福岡市での小学1年生男児殺害事件。
結局母親の殺害という結末でした。
この男児もまたADHDであったようです。
母の愛があれば、もしかすると将来立派な結果を残す人材だったかもしれません。
真相は未だ不明ですが、この母は支えきれなかったようです。
但し、我々はこの結果に対する原因を、この母親だけに限定して考えてははならないと思います。
むしろ普遍化して考える必要があると思うのです。
つまり、いつでもどこでも誰でもこうした母親になる危険性があると考える必要があるのではないかと思います。
なぜそう思うかと申しますと、ADHDへの対応について日本と欧米を比較すると理解しやすいと思います。
○診察
[日本]児童を精神科医や心理学者に診察してもらい、何らかの精神的な問題を抱えて
いないかをスクリーニングしてもらうことがタブーであり、もってのほかという風潮
が根強い。
[欧米]学校に精神科医や心理カウンセラーを配置して児童を診察し、少しでも異常の兆
候があれば問題を隠すのではなくすぐに医師に相談すべきだと教師・親・子供を
啓蒙するサポート体制がある。
また、日本の医療現場において、成人のADHDに対する理解が全般的に浅く、精神科医ですら「ADHDは子供に出る症状」と誤解している医師が多く、診察に訪れた成人ADHD患者が十分な治療を受けられず、場合によっては門前払いになるケースも多く存在するといわれています。
このように普通と違う存在に対して、我々は幅広く社会として許容してきたかという点について考えなければならないと思うのです。
家族という形態が小さな規模になってしまった今日、大家族形態であった昔には起こりえなかった問題が表面化してきていると考えられないでしょうか?
昔は多くの家族が守り育んだ命も、今はそれを支える家庭に許容力が無くなっていると。
コミュニティの崩壊も物理的な影響もさることながら、そうした許容力の低下が引き起こしているように思えてなりません。
病を抱えるということは正常な状態から逸脱すること。
確かにそういう一面があることは否定できませんし、ある意味正しい理解と言えるでしょう。
だから正常な状態へ復元するのです。
でも、それが復元不可能な病であれば、発症した時点から生涯その病とうまく付き合っていくほか方法がないことも事実です。
つまり、それは個性と認識するほか無いと思うのです。
障害者のオリンピックには心身のいずれかに何らかの異常を抱える方々が出場し、普段の競技能力を競い合います。
勝って嬉しそうな表情や、負けて悔しそうな表情からは想像もつかないような心身の障害があってもです。
パラリンピックは障害者に生き甲斐を提供しているはずです。
このように病を含むあらゆる障害を個性として受け入れることのできる社会。
これが”豊かさ”を示す一つの側面ではないかと思うのですが、皆さまはどのようにお感じになられるでしょうか?
それが受け入れられない社会もまたその個性だという理解はできると思いますが、少し寂しい社会だとは思われませんか。
さて、明日はいよいよ組織横断プロジェクトの最終報告本番です。
未だ報告内容の整理が完成していません。
さぁどうする!?
では今日もBreakThroughを目指しましょう♪
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