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ヤマト(^_^)v
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■技術士(総合技術監理部門)
■技術士(建設部門:土質及び基礎、建設環境)
■技術士(農業部門:農業土木)
■上級技術者〔施工・マネジメント〕(土木学会)
□のり面施工管理技術者
□一級土木施工管理技士
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ヤマトです。

確か以前にも同様な趣旨でブログを書いた記憶があります。
今回の内容がその時のモノを上回る内容で書けるのか?
或いは、それ以下の内容しか書けないのか?
そんなことは大した意味を持つものではないと思って書きます。

そもそも
人は、失敗の中からしか成功をつかむことができないという性質を持っています。
「論理」と「実際」の乖離が失敗の原因であることは疑う余地がありません。

「論理」とは、体系化され多くの方々と情報の共有が可能な状態レベルに至っている一つの考え方の集合体と言えるかもしれません。
こうした「論理」は、実際現象を何らかのモデルで代表し、それに対して科学技術等のツールにより分析・解析を行って得た結果を、整理・集約し普遍化した考えや定式などであると言うこともできるでしょう。

一方、「実際」とは簡単に言えば千差万別です。
一つとして同じモノがないと言っても言い過ぎではないでしょう。
時空間がまず異なります。
対象者が違います。
その結果、感覚と感性が相違します。
さらに時代背景が異なります。
つまり、類似する部分があるとすれば、たまたま偶然ある部分で同様な傾向がある場合に限定されると言っても良いかもしれません。

こうした両者を対比的に見ると
「論理」とは「実際」の一部しか現すことができないと言えるでしょう。
或いは、ごく希な部分的共通事象しか表現できないと言えるかもしれません。
ですから、「論理」が「実際」を上回る範囲でカバーしているなどということは絶対にあり得ません。
少なくとも私はそう感じています。
でも、「実際」の事象を他の方に伝える場合、何らかの共通手段が必要になります。
その時に有効なのが「論理」というツールだと言えるのではないかと思います。
簡単に表現すれば
「実際」⊃「論理」・・・(思い出して書いたので間違っているかもしれません)

我々が社会資本整備を行って行く上で、特に設計面では設計基準、技術基準や設計標準などという図書を参考にする機会が多いと思います。
こうした基準類図書の内容に照らして考えれば、設計対象を「実際」だとすると、各種基準類は「論理」ということになるでしょう。
ところが、多くの方が「論理」で「実際」をすべてコントロールしようとしてしまうのです。
そこで大きな不整合が発生する結果になっていると思います。
「実際」をすべてコントロールするなどということは所詮不可能だと言えます。
それは人類が神を超えることはできないからです。

おそらくここまで読み進めて来られると
タイトルとはまったく無関係な内容だと思われる方が大半でしょう。
でも、長々と書いてきたことには意味があります。

つまり、帰納法的に我々は「実際」へアプローチする能力しか持っていないのですから
演繹的なアプローチはどだい無理だと言うことです。
但し、仮説を設けて、その実証として「実際」へ働きかけを行う場合はその限りではありません。
しかし、その場合、成功の保証はどこにもありませんが。。。
だからこそ「実際」の事象とより多く語り合い、そして「実際」が望む方向へ帰結させていくしか解決の方法は無いと言えるでしょう。
こうしたトライ&エラーによる対応では、当然のこと失敗が多くなることは避けられません。
しかし、失敗があるからこそ「実際」と「論理」のインターフェースが重要になるのです。
それこそが我々技術者の立ち位置だと私は思っています。
”失敗”は”成功”の母
とは上手い表現だと思います。
まさにそのとおりです。

技術士試験でも成功のための「論理」が存在します。
しかし、それが有益な方もいらっしゃるでしょうが、
フィッティングしない方も当然いらっしゃるはずです。
そのことだけで自らに”ダメ”なレッテルを貼ってしまうことの無いようくれぐれもお気をつけ頂きたいと思います。
世に流布する合格するための「論理」が技術士試験という「実際」にマッチしていないだけに過ぎないのですから。
形式知がダメなら暗黙知があるさ。
暗黙知をいっぱい蓄えることができれば、やがて「実際」にフィッティングする自らの「論理」が必ず見つかるはずです。
その時を待てば良いじゃないですか。
その時間がもったいないとお考えですか?
それは間違いです。
形式知だけで合格という評価を手に入れた方には暗黙知がストックされていません。
また、応用動作が発揮しにくいという面があるかもしれません。
合格が終着駅ではない以上、早期に合格なさった方は、それ以後、暗黙知の習得に時間を要することになるのです。
そうでなければ合格時点が技術者としてのピークで、そこから後は転がり落ちるだけなのですから。
どういうアプローチが自分に合っているのか。
考え、そして実行する”時”を「不合格」という結果が与えてくれたと受け止めれば良いのだと信じています。
合否いずれにしても優れた技術者になるためには相応の時間を要します。
また、その時間は永遠に続くと言っても良いでしょう。

今年、技術士試験について「不合格」という結果を受け取られた方は
今、相当に凹んでいらっしゃるでしょう。
それはそれで良いのです。
それも必要な経験です。
大いに凹んで悔しがって、来年へのジャンプアップの力としてください。
願っていなくても訪れたハードルはクリアしなければなりませんし
技術士とはそれができない人に与えられる資格では無いとお考えください。
そして、こう信じて下さい!
乗り越えられないハードルは存在しないと。
それを成し遂げるのは、強い意志と困難に遭遇しても決して諦めない心です。
技術士は技術"志"でなければならない。
そう思っています。
それが真に理解できた時、きっと天使が微笑みかけることでしょう。
凹みの池は底なし沼ではありません。
凹みの池に入った場合は、思いっきり底に足が届くまで沈み込んで下さい。
そして、十分に足が踏ん張れると思った時から一気にジャ~ンプ!
それは皆さまの心意気を示すチャンスです。
そう思えば楽しからずや♪
今は無理でしょうけどね・・・(^_^;
でも大丈夫!
深呼吸をして心を空っぽにし
そして改めて考えましょう。
技術士を取得したその後の未来とそこで成し遂げたい夢を。

では今日もBreakThroughを目指しましょう
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